大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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国東の名所めぐり その4(国東町)

 今回は国東町のうち、大字川原(かわら)・安国寺の名所を少し掲載します。今回の目玉は桜本宮八幡社です。わりあい有名な神社で行き方も分かりやすく、インターネット上でも紹介されております。今回の記事に新しい情報があるわけではありませんけれども、その環境の素晴らしさやたくさんの石造文化財、国東半島らしい神仏習合の風景を、私なりに紹介できればと思います。

 

12 桜本宮八幡社

 この神社は「本宮」の名のとおり、鶴川に鎮座まします桜八幡の元宮様です。元宮と申しますと小規模な社地であったり、或いは山の中などに石祠のみがお祀りされている様子を思い浮かべる方も多いかもしれません。しかしこちらは、境内が広く社殿も立派です。諸々の文化財や特徴的な景観など、見るべきところがたくさんございますから、みなさんに参拝をお勧めいたします。

 車の場合は裏からまわるのが簡単です。特に案内は不要かと思いますが、一応道順を記しておきます。田深から県道29号を豊崎方面に行き、オレンジロード(農免道路)との交叉点を右折します(青看板あり)。少し行って「川原板碑」の看板を目印に右折します。すぐ、右側に板碑や五輪塔が立っています。これらはまたの機会とします。道なりに行けば右側に桜本宮様が鎮座しておりますので、車は入口(裏口)のところに邪魔にならないように停めます。

 裏から境内に入りますと、仁王様が立っているのがすぐ分かると思います。

 吽形を見落としてしまいました。阿形から少し離れた、低いところに立っているようです。今度参拝したときに確認します。おそらく、元は正面参道の脇に立っていたと思われます。神仏分離に際して、裏手に移されたのではないでしょうか?

 こちらの仁王像(一対)は市の有形文化財に指定されています。国東町内に数多く残る石造仁王像のうち、文化財に指定されているのは僅かです。指定の有無により本質的な価値に上下があるわけではなく、おそらく銘の有無などいくつかの基準に適うているということなのでしょう。

 写真の阿形は総高2m近くもある大きなもので、保存状態がすこぶる良好、ほとんど傷みがありません。お顔を見ますとほうれい線が目立ち、近所のおじいさんのような親しみやすさがあります。厳めしい雰囲気はあまり感じられない、わたし達に寄り添うてくださるような仁王様でございます。立ち姿は腰まえがよく、どっしりとしています。衣紋の裾まわりのドレープ感がたいへん上手に表現されておりますし、脚の表現もよいと思います。裾と足とでしっかり体を支えています。この種の3点支持方式の仁王像を盛んに見かける中で、得てしてこの箇所が形式的と申しますか、「しっかり支える」という機能面に特化した表現になっている事例も多うございます。ところがこちらは、自然な表現になっているのが見事なものではありませんか。

 国東市のウェブサイトより、銘文を引用します。

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(裏面)
助夫 吉本
同  田染村
同  原山
同  村中
石工 一宮正行作

(左側面)
万延元年
庚申六月吉日
村正 重光徳右衛門
願主 同苗兵太良
世話人友成長右衛門
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 お社はそう古くない時代に建て替えられたもののようです。立派な造りですし、中もきれいです。境内は広く、今も続いているか分かりませんけれども以前、8月15日の晩にここで開かれた宮踊りに行ったことがあります。「六調子」と「祭文」を踊りました。

 隅の方には枯山水もあります。小さな橋を架けるなど手の込んだ造りです。

 敷地のへりに沿うて摂社がずらりと並んでおり、金毘羅様、妙見様など種々お祀りされています。そのいずれもが、きちんとこしらえた基壇にお祀りされておりお世話が行き届いているように感じられました。

 神門もすこぶる立派です。これほど立派な神門を伴う神社は、町内ではそう多くはありません。裏から来た場合も、ぜひ神門をくぐって正面参道を下ってみてください。狛犬庚申塔などの石造物が見学できますし、参道からの景観がなかなかのものなのです。狛犬は写真を撮り忘れてしまったので、またの機会に紹介します。

 いかがですか。麓までただ石段が続くのではなく、途中には太鼓橋が架かっています。二の鳥居の先はまた石段で、下り切って民家の間の平らな道(馬場)を直進すれば一の鳥居、参道は県道(現道)と交差して旧道まで続いています。

 参道の途中、太鼓橋のあたりに御室に収まった仏様と庚申塔が並んでお祀りされています。この庚申塔は、近隣ではあまり見かけない表現のものであり、たいへんおもしろいデザインのものですから、ぜひ見学をお勧めいたします。別の写真で詳しく見てみましょう。

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼

 この塔はほとんど傷みがなく、すこぶる良好な状態を保っています。笠は照屋根で、この形状にしては棟が低く左右が微妙に非対象になっているような気がします。日輪・月輪は線彫りで、瑞雲も線彫りにて図案化を極めます。

 おもしろいのは諸像の配置で、まるで1本の木に主尊と邪鬼・童子・猿が乗り、そのねきで鶏が休んでいるように見えます。しかも童子・猿・鶏は夫々所作が異なり、いきいきとした感じがいたします。全体的に漫画的な楽しい雰囲気なので、レリーフ状の浅い彫りがよう合うているといえましょう。

 主尊は腕を左右対称にして、やや形式的な感じがいたします。足が異様に大きく、爪先を左右に開いた立ち姿には稚児の描いたる絵のごとくにて、珍妙な雰囲気が感じられました。火焔輪の記号的な表現がまた何ともいえずすてきです。目鼻口が中央にぎゅっと寄ったお顔には、怖そうな感じは微塵もありません。邪鬼の左右には童子が立っています。左の童子は右(中央)を向いて立ち顔だけ正面を向けており、右の童子は一段下がって正面向きです。左の童子のように体が真横を向いているのは珍しいと思います。

 猿は中段(下の枝のようなところ)に、2匹と1匹に分かれて夫々中央を向き、見ざる言わざる聞かざるの手でしゃがみ込んでいます。尻を突き出しているのが可笑しうございます。鶏も左右で違います。右の鶏は左向き、左の鶏は体は左向きですが頭を捻じ曲げて右を見返っています。

 基壇には10人のお名前がずらりと彫ってあり「彦助」「仁平」「小衛門」などが確認できました。

 境内の一角には大日様もお祀りされています。優美な曲線の窓からは、大日様の坐像が確認できました。

 説明板の内容を転記します。

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 桜本宮社の境内に安置してあります大日尊の御堂・台座・灯籠等が長年の風雨にさらされて甚だしく傷んでいたので、平成14年1月に発足し現代にいたっている本宮社清掃奉仕グループにより、移転修復致しました。
平成19年3月吉日

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 清掃奉仕グループの方々をはじめ、地域のみなさんの手により環境整備が行き届いています。お蔭様で気持ちよく参拝できました。

 

13 常聚院の石造物

 桜本宮八幡社裏から元来た道を後戻ります。オレンジロードに出たら左折して、橋(陸橋)を渡る直前を右折した先が曹洞宗寺院・常聚院(じょうじゅいん)です。ここは大字川原のうち立野(たつの)部落のうちです。

 境内の端にいろいろな石造物が集まっている一角があります。その一部を紹介します。右の大きな碑は「常聚院移転記念碑」です。

 ひときわ立派にお祀りされているのは、馬頭観音様です。厚肉彫りなので3面のお顔を無理なく表現できています。馬頭観音様は、その名称から牛馬守護の信仰に結びつき、県内各地で農家や馬方などの絶大なる信仰をあつめてきました。こちらも、立派な御室や基壇の高さなど、信仰の篤さが見てとれます。

青面金剛4臂、2童子、2猿、2鶏

 この塔は、類似するものを近隣では見かけない、独創的なものです。個性豊かな表現であり、石工さんの発想力や細かい彫りを見事に施した技量に感心しました。上端が斜めになっておりますのは、破損してこうなったのでしょう。ときどき左右非対称にこしらえた事例もありますけれども、こちらは主尊の首にかかる位置で左右に大きく亀裂が走っていることから、この部分が折れて上部が落ちたときに、へりを大きく打ち欠いたものと思われます。

 このように大きな傷みが惜しまれますけれども、諸像の姿は思いの外良好です。上から見ていきましょう。まず線彫りとレリーフ状の彫りを巧みに組み合わせた瑞雲が素晴らしく、牡丹くずしの風情があります。その複雑な曲線に沿うように碑面を彫りくぼめて、主尊と童子を配しています。これらは、丸みを持った半肉彫りというよりは、彫り口の角を立たせた平面的な厚肉彫りです(矛盾のある表現ですが言わんとすることが伝わるでしょうか)。主尊は御髪を左右に分けてなでつけており、不気味なお顔立ちで睨みをきかしています。衣紋の裾まわりや羂索などの曲線、短い脚など非常に個性的なお姿であります。よう見ますと、噴水で浮き上がったような足場の上に立っているのもおもしろうございます。

 童子は玉乗りに見えます。もちろん玉ではなくて丸っこい台なのでしょうが、合掌をしながら軽業披露の首尾かいなと失礼ながら笑うてしまいました。猿は中央の丸いお部屋に寄り添うており、レリーフ状の彫りです。それを左右から見守り鶏に至っては猿よりもずっと彫りが浅く、影が薄くなっています

 下の方には2段に分けて、27人ものお名前がずらりと彫ってあります。2m近くもある大型の塔を造立できましたのも、大所帯の庚申講なりゃこそでしょう。元禄7年の造立です。

 

14 安国寺北山の石造物

 道順が飛んで、大字安国寺の名所を1か所だけ紹介します。常聚院からオレンジロードを武蔵方面に行き、橋を渡って2車線の道との辻を左折します(信号機なし)。道なりに行って弥生のムラを過ぎて、右側に立派な竣工碑の立つ角を右折します。大年社の辻を直進して次の角を右折、簡易舗装の坂道を上って、右カーブするところから左側の山道(車不可・入口に案内板などはありません)に入って少し上れば、庚申塔などの石造物が点在しています。近くに適当な駐車場所がないので、安国寺公民館(大年社裏)に停めさせていただき、大年社に参拝するついでに足を伸ばすとよいでしょう。

 山道に入って右方向に行けば、平場の突き当りに宝篋印塔が1基立っています。周りを塀で囲み、その前には対の灯籠と小さなお手水も置いてあります。供養塔として造立されたものでしょうか。文化財指定されておらず、由来が分かりませんでした。

 この塔は相輪が少し歪んでいますけれども、細かい部分までよう残っています。全体としてのまとまりとしては、優れているとは言い難いかもしれません。けれども個性的なデザインが印象に残りました。露盤には二重の線彫りで花びらを表し、その上に小さな隅飾りを伴う段を挿み反花・請花が乗っています。反花・請花も線彫りで、上下が全くの対称形にてやや形式的な印象を受けました。宝珠の下部にもお花を彫ってあります。露盤から下を見ていくと、隅飾りが外向きにはなっていないものの大きく、蕨手の装飾などの様子から、江戸時代以降のもののような気がしました。塔身には矩形の枠取りをしてあります。基壇に格狭間は見当たりませんでした。

 庚申塔もすぐ見つかると思います。塀で囲んだ一角に2基の塔が並んで立っています。立地が荒れ気味で、塀が大きく破損しているのが残念に思いました。

奉寄晋
宝暦四甲戌●
仲夏如意●

 下部が落ち葉で隠れており、その部分の確認を怠ってしまいました。銘の状態は良好なので、簡単に読み取れます。「寄」は異体字で彫ってあり、その下の「晋」は「進」の誤りでしょう。或いは「寄晋」という用字も通用していたのでしょうか?

青面金剛6臂、2童子、3猿、2鶏、邪鬼、ショケラ

 この塔は傷みがほとんどなく、細かい部分までよう残っています。碑面いっぱいに諸像を配しており、デザイン的に非常に優れたところのある優秀作といえましょう。

 笠は入母屋で、お社の屋根のような重厚感があります。塔身と笠の接合部のすぐキワから諸像を配しています。瑞雲はうろこ雲のような表現で、日輪・月輪と相俟ってお花模様のように見えてまいります。主尊は御髪の櫛の目もよう整うて、炎髪がさても仰々しく、鬢は浮き気味になっています。目をつり上げて鼻筋が通り、口をキッと結んだ厳めしい表情で、その立ち姿も含めてほんに強そうです。腕はごく太く、六本の腕の長さがややまちまちです。しかし気にならない程度の違いですし、指の握りなども写実的に彫ってあります。肥った体で、肩当て、錣や裾まわりのこまかいヒダを見るに、立派な衣紋を纏うていることがわかります。ショケラは生首の風情あり、正面を向いて珍妙な顔でぶらさがっています。

 童子はにっこりと笑うて、主尊の表情とは対照的です。特に左の童子の朗らかなることと申しましたら、近所のおばさんのような親しみやすさがございます。主尊の足元には獅子に見替えの邪鬼が四つん這いになっています。鼻の孔を吹き広げて口を異様に横長く開いており、不気味です。この獅子の上端の直線的な表現(段のキワに沿うている)など実に思い切った表現で、作者の発想が素晴らしいと思いました。猿と鶏は夫々の小部屋に収まります。なんだか牢屋につながれているようで、お気の毒に感じました。

 ところで、これにそっくりの庚申塔が小原地区に残っています。リンク先の「1 赤禿の庚申塔」をぜひご覧いただき、見比べてみてください。邪鬼の向きや鶏の位置など細かい違いはありますけれども、同一の作者によるものと推察されます。

青面金剛4臂、2童子、3猿、2鶏

 残念ながら碑面の荒れが著しく、特に主尊の上半身は細かい部分を窺い知ることができません。しかしながら、その輪郭から推して、武蔵町など東国東方面で盛んに見かけるタイプの類型と思われます。

 近くには石祠もお祀りされています。詳細は分かりませんでした。

 

今回は以上です。次回は別府市の名所旧跡を少し掲載します。あまりの暑くて、名所めぐりどころではありません。写真のストックがまだまだあるので投稿に困ることはありませんが…

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