大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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三郷の名所めぐり その1(山国町)

 最近、山国町の名所旧跡にことさらに興味関心を抱いております。この町は名勝耶馬溪のうち奥耶馬溪にあたり、その景勝は本耶馬溪や深耶馬溪に引けを取りません。しかも自然探勝に加えて、村々に残る数多くの史蹟もまた非常に興味深いところが数多うございます。そも、今の山国町全域が英彦山領であったためそれに関連する史蹟が甚だ多いらしく、わたくしのような部外の者が物見遊山に訪れ日がな一日巡りに巡ってもその全容はよくわからないというのが正直なところです。また、伏木峠や大石峠を越ゆればもうその先は日田でありますから、語尾に「~ばい」と言うなど方言が日田寄りのようで、同じ山国川の流れにありましても中流下流の地域とはまた違う文化がございます。一方で盆踊りの演目等を見ますと耶馬溪町と共通しているところもあります。山国川流域の文化、英彦山の文化、日田方面の文化。この3つが複雑に混じり合った地域といえましょう。

 さて、この地域は近代の行政区分で申しますと、旧三郷村・溝部村・槻木村の3地区に分かれます。せっかく山国町を訪れるからには猿飛千壺峡とマベシ谷の景勝を楽しむだけでは勿体ないことです。そこで、まず手始めに三郷地区のうち、堀江の弘法洞と三所権現を紹介いたします。いずれも道中がなかなか険しうございますのでそうやすやすとお参りできるようなところではありません。けれども、弘法洞も三所権現も、その自然、特異な立地、石造物の数々は、必ずや探訪者の心に残ることでありましょう。

 

1 堀江の弘法洞

 道の駅山国を出発して、国道212号を日田方面に行きます。青看板の先の交叉点を右折して国道500号を少し進み、「憩の森キャンプ場」の看板のある角を左に上がります。道なりに行けば堀江部落で、そのかかりの道路端に弘法洞の参道入口があります(冒頭の写真)。車は、この少し手前からキャンプ場に続く林道の上がりはなに停めるとよいでしょう。林道の入口部分がとても広いので2台程度であれば縦列に停められます。

 さて、車道から弘法洞までは山道を歩くことになります。看板には「徒歩15分」とありますが、あまり整備された道ではありませんしお参り・見学の時間も考慮しますと、余裕をもって1時間程度はみておいた方がよいでしょう。看板のところから猪の柵を通って田んぼのあぜ道を上がります。また猪の柵があり、それを過ぎたら杉林の中に入ります。立札に従って左折し、平坦に進みます。再度立札に従って右折すれば、ここからはずっと一本道の登りで、目的地まで立札の類は一切ありません。

 参道はいよいよ山道の様相を呈し、谷戸のような地形を、谷川を左に見ながら登っていきます。やや不明瞭な道ですが杉の木がそこをよけて植えられていますから、分かると思います。一部石ころ道になっていて歩きにくいので、適宜左によけながら適当に折り返して登ってもよいでしょう。いよいよ谷が狭まり昼なお暗い道中にて先が不安になります。前に進めなくなったら適当に渡渉しますと、右岸(登り方向に見て左側)に参道が続いています。普段は水がとても少ないので簡単に渉れます。なおも登っていきますと、土の路面が絶えて水量のごく少ないナメ滝のようなところを歩くことになります。適度に凹凸がありますので特に危ないようなところはありません。すると正面にごく小規模な、チョロチョロと落ちる滝がありまして、その落て口の下、滝の裏側の帯状にえぐれたところに説明板が立っているのが見えます。段差が高くて上がれませんので右に移動して、横の斜面を巻いて上がれば到着です。

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内容を転記します。

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堀江弘法洞と石仏群像
 ここ堀江弘法洞には、中央の弘法大師像を中心に91体の石仏が祀られています。中央の弘法大師像は、蓮華座に乗った65cmくらいの高さで一際目立つ大きさですが、あとはほとんどが40cmくらいの舟形光背を持つ半肉彫りの菩薩像です。
 この光背を持つ菩薩としては、規模、数からみても近隣一の石仏群像といえます。
 すべて無銘なので成立年代を判定することは難しいのですが、おそらく江戸中期から後期にかけて、同じ石工による生涯かけての労作ではないかと思われます。
 また、昔は洞穴の横にある滝の下で、白装束をまとった人が、水垢離をしていました。
註 水垢離…神仏に祈願するため、冷水に打たれ心身の汚れを去り清めること。
   山国町教育委員会

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 この説明板の右側の小さな洞穴に3体、左側の帯状の洞穴にお弘法様を中心とするたくさんの仏様が安置されています。

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 右の洞穴の様子です。前に置かれているコンクリートブロックは、お供えを置いたりするための台でありましょう。

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 左側の、帯状の洞穴です。写真の左側に、洞穴の上下が濡れているところがあるのがお分かりでしょうか。ここが、小さな滝になっています。規模こそ違いますけれども、要は慈恩の滝や鍋が滝のように裏側のえぐれたところに回り込めるようになっていて、そこに仏様を並べてあるのです。まさに天然の岩屋であります。麓の堀江部落からずいぶん登ってきたこの場所に仏様を安置したのは、この特異な地形が霊場として適した場所であると考えたからでしょうか。または山岳信仰との関連性も考えられます。

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 先ほどの、右の洞穴の3体のうち向かって右の仏様と、この写真に大きく写っている仏様、それからお弘法様、あわせて3体のみ形状がほかと異なります。残りの88体は舟形光背を持つ形状です。おそらくお弘法様を中心とする寄せ四国をなしているのであろうと察しがつきました。一つひとつに一番、二番…と番号が振られていないことから、点在していたものをこちらに寄せたのではなく、はじめからこの場所にまとめて安置したものと思われます。

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 やはりお弘法様が一際大きくてよう目立ちます。蓮華座が立派で、いよよありがたい感じがしてくるではありませんか。小さい仏様は折損しているものもいくつか見られまして、修復はせず、折れた上半分を前に立てかけるようにしていました。それにしてもこれだけの仏様をこしらえるのはもちろん、麓から担いで上がるのも並大抵のことではございません。よほどの信心によるものでありましょうし、お四国さんに行くのは難しい村人を思えばこそのことと思われます。

 ありがたくお参りをさせていただき、昔の方の素朴な信仰心に感銘を覚えましたとともに、この山の中にこれだけの規模の霊場が残っている山国町というところの奥深さにあらためて感じ入った次第でございます。

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2 三所権現

 三所権現こそは、近隣在郷でも指折りの名所中の名所であると確信いたします。マベシ谷や猿飛千壺峡、天岩戸・西京橋ほどの知名度はないものの、神仏習合を色濃く残す大規模な霊場は、山国町の土地柄を象徴するものといえましょう。

 特に道案内は不要かと思いますが一応申しますと、国道212号を日田方面に進みまして、国道500号への交叉点も過ぎて、県道720号(伏木峠)別れのところが参道入口です。付近のバス停は「権現下」です。

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 こちらが参道の入口です。国道からよく見えるのですぐ分かると思います。この道は車で上がられません。ここから歩いて上がってお参りをすればいよいよ霊験も高まりそうな気もいたしますが、かなりの急坂が長う続きますので無理をせず車で上がってもよいでしょう。その場合、この鳥居の前を通り過ぎまして、少し先で右折し折り返すように車道を上がります。その車道は九十九折になっていて、途中で何回か参道と交叉することになります。

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 参道の上がりはなに説明板があります。車道を上がるとしても、ちょっと車をとめて目を通しておいた方がよいでしょう。

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三所権現
 上の鳥居から100m位上ると毘沙門堂、古塔、鐘楼があり、陽雲寺、竜権現、上宮、古上宮を含めた、神仏習合時代の大規模な遺構である。陽雲寺には、薬師如来坐像と脇侍の日光・月光菩薩十二神将像、阿弥陀如来立像が安置されており、中でも薬師如来坐像十二神将像は古く、技術的にも高い尤物である。
 上の三所神社は三神をまつり、社殿の妻に「水のみ竜」の伝説の木彫りがあり、上宮、古上宮には、十六羅漢を含んで26体の石像と木彫阿弥陀如来坐像1体がある。
 社殿の創建は南北朝以前である。英彦山鎌倉時代に設けた山麓七大行事の一つとして本社の名が古くから伝えられており、少なくとも室町中期にはかなりの権威をもって存在していた寺社機構である。上宮、古上宮に残る修験道信仰のあと、同じ境内に寺社が同居していることは、明治初年神仏分離令にも屈せぬ伝統の強さがしのばれる。5月8日(現在は5月3日)の例祭には、灌仏会が行われ、古来の格式が氏子たちで守り続けられている。
   中津市教育委員会

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 説明板の文中に「山麓七大行事」の文言があります。大行事とは、英彦山神領の村に置かれた鎮守神のことで、英彦山の裾野7里における村々にございます。大分県側ではその所在が不明となっている事例が多いものの、山国町では大行事に比定される神社がいくつかあるそうです。三所権現もその一つで、「七大行事」と申しますのは方々の大行事の中でも特に格が高いということでありましょう。

 それでは、いよいよ三所権現へと登っていきます。

 

(1)庚申塔

 車道を上がっていくと、大きく左カーブするところの右側に庚申塔が立っていました。

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猿田彦大神

 注連縄やシャカキの様子から、近隣の方の信仰が続いていることが分かります。英彦山麓には猿田彦の石塔が方々に残っており、こちらもそのうちの一つです。一応項目名は「庚申塔」としましたが、この「猿田彦大神」の塔を神道系の庚申塔としての文脈でひとくくりにしてよいものか、今一つ自信がありません。それと申しますのも、猿田彦を天狗様と同等に見做せば、英彦山修験道山岳信仰に関係する何らかの信仰形態とも考えられるからです。

 車道を上がる際にはこちらをちょっと拝んで、この先の道中の安全をお願いされてはいかがでしょうか。

 

(2)陽雲寺

 駐車場に車を置いて石段を少し上がれば陽雲寺です。下の説明板によれば十二神像などいろいろな仏様が安置されているとのことでしたが、見学をしそびれてしまいました。

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 鐘楼のあたりには躑躅が植わっていて、整備が行き届いています。花の時季にはほんによい雰囲気になりましょう。国東半島のお寺にも、奥の院として神社を伴うところが多うございます。こちらも同じような位置関係になっています。

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 境内の隅にいくつかの石造物が安置されていました。

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 お寺から神社に上がる石段の下にある鳥居です。「権現宮」と書かれてあります。

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一字一石塔

 

(3)三所神社(竜権現)

 陽雲寺から石段をまっすぐ上がれば三所神社です。お寺の右側の坂道を車で上がって、拝殿の裏に駐車することもできます。ただ、その坂がローギヤでやっと上がるほどのものすごい勾配のため通行にやや難渋しますので、可能であれば石段経由で歩いた方がよいでしょう。

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 三所神社保存会による案内図が立っていました。概念的な絵図でありまして実際の道順をずいぶん簡略化してあります。しかし全体の位置関係を把握するのに役立ちますので、もし上宮を目指す場合にはこの絵図の内容をしっかり覚えておきましょう。なお、年間行事として下記が記載されています。

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年間行事

1月6日 御戸開祭
5月3日 花まつり釈尊生誕祭)
9月下旬 金毘羅・豊前坊・山の神・天満宮
12月2日 甘酒祭(五穀豊穣祭)

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 一般に三所権現にお参りをするとなれば、こちらまでとなるようです。立派な建築でございます。再訪時には傷んだ箇所の修繕が行われていました。

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 絵図にあった上宮への上り口がはじめは分かりませんでした。この石段を上がったところから道が続いているのかなとも思いましたが、違います。

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 上にお弘法様が見えます。左の鳥居の後ろには石段の名残がありますが、崩れていて上がられません。上宮に行くときは、この鳥居の左側から奥に進みます。折り返すように巻いて登ればお弘法様のところに出られます。そのまま、山道を上へ上へと登っていくことになりますが、傾斜がきついので雨上がりなどはやめておいた方がよいでしょう。初回に訪れた際は履物が適当ではなかったので諦めましたが、このたび2回目のお参りの機会を得まして、やっとこの先に進むことができました。

 

(4)花房姫の墓

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 これが参道です。道というよりはただの斜面のような雰囲気でございまして、杉の間隔から辛うじてそこが道であると分かるような状況であります。やや荒れ気味に感じました。杉木立の中に広葉樹が見えますのは、椎の木です。絵図にあります「椎の大木」がこれにあたります。ここからいよいよ傾斜が増してまいります。頑張って登れば、十六羅漢方面と針の耳方面の二又に出ます。

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 立札の上に「花房姫の墓」とあります。由来がよく分かりませんでしたが、下の写真の石塔がそれにあたるようです。今回、全部を巡る時間がなかったので、ひとまず十六羅漢を目指して左にとり、右の道はまたの機会といたしました。

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(5)十六羅漢

 看板の二又を左にとり先に進んだものの、行けども行けども十六羅漢に着きません。道は乏しく、いよいよ進退窮まる状況にて、これは違うと引き返しました。後になって分かったのが、看板のところから左に上がるのではなく、看板から少し下がって実物の「花房姫の墓」のところから水平気味に左に進むということです。その水平移動するところが一見して道には見えないような状況ですが、斜面を横切るように適当に進みますとすぐに道がはっきりしてきます。緩やかに上り下りしていけば段差に木製の梯子をかけてあるところに出ます。その梯子を上がってもよいが倒木により通りにくうございます。梯子を上がらず、左側から巻いて上がった方が簡単でした。

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 梯子を過ぎると、道の左側に2本の木立が印象的な、鼻になっているところがありました。少し進んでみましたが特に石造物等はなかったものの、もしかしたら以前は、こちらから尾根伝いに別の道もあったのかもしれません。

 この鼻を左に見送れば急傾斜の道にて、電線のような黒いコードを張ってくれているのでそれを頼りに登りつめたら十六羅漢に到着です。2回目の探訪でやっと行き着いたのと、途中の道間違いで右往左往したこともありまして、無事に到着できた喜びが湧き上がってまいりました。

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 岩棚の崖下にたくさんの仏様が並んでいます。仏像というものはただでさえありがたいものを、こちらはその立地も相俟っていよいよありがたさが増してくる気がいたします。

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 十六羅漢というものの、実際には16体以上の仏様がございます。それは、別の種類の仏様も一緒に並んでいるためでしょう。ここから左右に道が分かれています。右は阿弥陀堂、左は古上宮へと続いています。古上宮への道は途中が崩れていてたいへん危険とのことでしたが、様子が気になって岩場の崖道を少し上がってみました。

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 少し崖を上がれば、ものすごい場所に仏様が安置されていました。よくもかやらずに残っているものぞと感心いたしますとともに、この場所から下界を見晴らしてずっと立ち続ける仏様のありがたさにただただ、手を合わせた次第でございます。これより先はいよいよ危険な道で、深入りするのは控えて十六羅漢まで引き返しました。

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(6)阿弥陀堂

 十六羅漢から崖下の細道を右に行けば、上の方に堂様が見えます。

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 堂様へは鎖渡しで崖を上がることになります。垂直の崖ではありませんし足がかりがたくさんありますから、用心して通れば特段危険は感じませんでした。しかしこの山中で足を挫いたりすれば大変です。天候や体調によっては、無理をしない方がよいでしょう。

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 天然の岩屋にめり込むように建てられた堂様の中には、木彫りの阿弥陀様がおいでになりました。うっとりとするような、素晴らしい彫像です。あまりの感激に声も出ず、お参りすら忘れてじっと見惚れてしまいました。はっと我に返って手を合わせましたけれども、それほどまでの感動であったのです。人里にある堂様やお寺の中に安置されていても素晴らしいものを、この難所の道の先の、ものすごい立地の堂様の中に安置されているのですから、いよいよ有難味が増してくるではありませんか。

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 戻りの道中で崖上に見つけた仏様です。まったく、三所権現というところの奥深さは、ただの一度や二度の探訪ではとても全容を掴み切れません。今後も季節を選んで、三度四度とお参りをしたいものです。

 

今回は以上です。初回から重量級の名所で、長くなってしまいました。興味関心をお持ちの方にはぜひお参りをお勧めいたします。