大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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田染の名所めぐり その8(豊後高田市)

 久しぶりに田染シリーズの続きを書きます。今回は七田(しった)の観音様・お稲荷様、大平前の穴観音様、鍛冶屋林の庚申塔、元宮磨崖仏を紹介します。特に七田の観音様は、行き方が少し難しいものの近隣在郷でも指折りの名所で、このシリーズの目玉のひとつとです。

 

39 七田の観音様

 真中交叉点から高田方面に行き、左側に「田染荘←」の看板の立つ信号のない十字路を右折します。橋を渡って道なりに進むと左手に家並みが見えてきます。七田部落に着きました。左の家並みの方への分岐辺りが少し広くなっていますので、邪魔にならないように路肩に寄せて駐車したら、その分岐から民家の間を通って山手に進みます。

 簡易舗装の坂道の傾斜が増してきて、車が上がる奥詰めの民家横にて道が3方向に分かれていますので、中央の道を登ります。ここからは車が上がらない道になります(近くに適当な駐車場所がありません)。竹林の踏み分け道の様相を呈してまいりますので行く先が不安になります。しばらく登り、右方向に折り返して斜面をトラバースする細道を進みます。なだらかに尾根筋・谷筋を横切っていくと、左方向にお稲荷さんへの分岐があります。ひとまずこの分岐を無視して直進しますと、尾根を回り込んだところで観音様の岩屋や仁王様が目に入ります。何度かお参りに上がったことがありますが、その度にやっと着いたとほっとする場面です。下の車道からそれなりに距離がありますうえに道が悪いので、地面が湿っている日はやめておきましょう。

 岩屋の全景です。かつては前の平場でお祭りをしていたとのことです。今は木が茂って展望が利きませんが、昔は麓を見下ろすことができたかもしれません。手前の岩屋にはお観音様がずらりと並んでいます。奥の岩屋は切石で壁をこしらえ、中には十王様など多様な仏様が安置されています。

 岩屋の中に2段の棚をこしらえて、凡そ30体のお観音様がおわします。苔が目立ちますけれども鮮やかな彩色が見事で、一体々々異なる造形にて細かい表現がすばらしく、何度拝見しても見惚れてしまいます。

 背の低い仁王様は衣紋の裾まわりを大胆に広げて、3点支持でしっかりと立っています。やや反り腰気味にて、肥り気味の体型を強調するような力強さがございます。丸いお顔、天衣や胴回りの曲線などに、なんとなく優美な雰囲気が感じられるではありませんか。

 ぜひお観音様を一体々々、観察してみてください。そのお慈悲のお顔、美しい彩色、千手観音様に見られるような細かい彫りなど、いずれも肝煎りの作でありましょう。もとは西国三十三所霊場の様相を呈していたのかもしれません。

 右の岩屋の切石による壁は、一部破損していますけれども軒もこしらえて岩壁にきっちりと嵌まるように細工されています。高級な機械のなかった時代の作とは思えない、見事な造りではありませんか。

 壁で仕切られた岩屋の中にあって、十王様の保存状態がすこぶる良好です。よく野晒しになっている十王様は苔の侵蝕によりそのお顔が分かりづらくなっている例もありますけれども、こちらはようわかります。

 転倒してしまったことがあるのか、頭部が破損した仏様もございます。その頭を前に置いてありました。

 お地蔵様も彩色が鮮やかで、衣紋の表現など優美で見事なものです。先ほどのお観音様とあわせて、よほどの信仰を集めてきたものでしょう。

 写真では分かりにくいと思いますが、かなり高い位置の岩陰にも仏様が安置されていました。もしかしたら元はこのように野晒しになっている仏様が他にもあったものを、岩屋の中に集めてお祀りしてあるのかもしれません。ありがたい名所でございます。

 

40 七田のお稲荷様

 岩屋から僅かに後戻って、小道を登っていきます(最初の分岐とは違う道です)。急傾斜の細道は落ち葉でよう滑りますので、通行に注意を要します。

 正面にお稲荷様が見えてきたらいよいよ傾斜が増して、補助としてロープが張られています。参拝時には強度に問題はなさそうでしたが、残置ロープはあまりあてにしない方がよいでしょう。

 お稲荷様にお参りをしたら、すぐそばのお手水を確認してください。瓢箪型のおもしろい造形であります。今は落ち葉などが溜まって用をなさなくなっています。いつも思うのですが、このように水抜きの穴のないお手水はどのように使っていたのでしょう。溜まり水で手を洗っていたのでしょうか。

 すぐそばでは、大岩を巻き込むようにして見事な大木が育っていました。お稲荷様から尾根伝いに右に行けば、大字蕗は平原(ひらばる)部落に抜けることができます。この道は自動車交通以前の時代に地域間の往来に盛んに利用されていたそうです。今回は左に行き、道なりに下ってお観音様の参道に返り、駐車場所まで元来た道を後戻りました。

 

41 大平前の穴観音様

 車に乗って川べりの道を先に進み、「四季菜」の看板を左折します。突き当りを右折したらほどなく料理店「四季菜」が左側にあります。山菜料理・野菜料理がおいしくてしかも安価な、みなさんにお勧めしたい名店です。近隣の名所旧跡を探訪される際の昼食によいでしょう。四季菜の前を過ぎて見通しの悪い道を進んでいくと、道路端左側に穴観音様がございます。

 入口は近年の補修と思われます。しっかり固めてあるので崩落の恐れもなく、安心してお参りすることができます。ちょうどこの前の路肩が広くなっているので、邪魔にならないように車を停めることができます。

 お弘法様、お観音様など5体の仏様がお祀りされています。色鮮やかなお蝶著をかけて、切り花のお供えもたくさんあがっていました。立ち寄った際、岩屋の中にはお線香の匂いが残っており、近隣の方のお参りが続いていることが覗われました。

 

42 カジヤ林の庚申塔

 穴観音様を過ぎたらすぐ、県道新城山香線に突き当たります。左折してすぐ、左側に庚申塔が並んでいます。道路から見えるのですぐ分かると思います。その下の路肩が広くなっているので車を停めることができます。

 以前はもう少し木森に隠れがちでしたが、下の県道を拡幅した頃に用地をコンクリで舗装されましたので、簡単に見学することができます。全部文字塔で、よく見かける「青面金剛」とか「庚申」とは異なる銘が刻まれています。右の2基は容易に読み取れますので、ぜひ確認してみてください。

十方三世一切諸菩薩
奉合修祀庚申施主心中二世安楽所
八万書霊敬称阿弥陀

 銘文には、この地域の庚申信仰の広まり方が仏教との関連性における文脈であったことが覗われます。庚申様は、一般に作の神、賽ノ神として認識されることが多いうえに、年代が下がると祭祀の方法が多分にレクリエーション的な様相を呈してきて、その状況が長く続きました。ところがこちらの銘文を見ますと、当初は様相を異にしていたことがよう分かります。慶安5年、370年前の造立です。

奉供養庚申二世安楽所

 銘の上部の円には梵字が3つ彫られています。梵字に明るくないので内容は分かりません。今のところ銘の文字は容易に読み取れますけれども、碑面が荒れてきているのが気にかかります。寛文11年、凡そ350年前の造立です。

 あとの2基は銘文の読み取りがなかなか難しかったので、個別の写真の掲載は省略します。見学してはっとしましたのが、めいめいの塔の前にお湯呑が置かれてあったことです。庚申様の信仰が薄れた地域におきましても、刻像塔に湯茶やお花、シャカキなどのお供えをしている事例は方々で見かけます。特にお弘法様やお地蔵様などと隣接している場合にはその傾向が顕著です。ところが文字塔の場合、お供えが上がっている割合が刻像塔よりも下がるような気がいたします。しかしカジヤ林の庚申塔群におきましては、講の現状は存じませんけれども今なお地域の方の信仰が続いているようです。

 一見して、こちらも庚申塔か、或いは庚申石の類かなと思いました。しかし大岩にわざわざ龕をこしらえて石を安置していることから、つくづく考えるに庚申様でないような気がいたします。何らかの神様のような気もいたしますけれども、詳細は分かりません。

 

43 元宮磨崖仏

 カジヤ林の庚申塔から先に進みますと富貴寺に至ります。今回はここで後戻って元宮様を目指します。道なりに行き、真中交叉点の手前右側にございます。先に、そのかかりの元宮磨崖仏を紹介します。車は道路の反対側に邪魔にならないように停めます。

 岩壁に5体の仏様が半肉彫りで表現されています。私が子供の頃にお参りをしたときには野晒しの状態であったと記憶しておりますが、今はこのように立派な覆い屋ができました。仏様の風化摩滅予防に役立っているばかりか、お賽銭箱、線香立てなども立派になり、お参りの利便性が向上しています。

 覆い屋の建立についての立派な記念碑が設けられています。内容を転記します。

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元宮磨崖仏覆屋建立記念碑

国県市補助事業 総事業費1170万円
施工 次郎丸建設
平成13年4月完成

 元宮磨崖仏は六郷満山文化の影響を受けた室町時代に完成したと推定され、昭和30年国史跡に指定された。
 以前から地元3区民が信仰し守ってきたが、年々風化が進む現状を憂慮し、昔の姿を後世に残したいと、市当局、教育委員会に陳情を重ね、平成13年4月念願の覆屋が完成し落成を祝った。
 地元3区全戸の寄附と特別寄附により仏具等は磨崖仏とマッチするよう御影石で備えた。これからも、3区民こぞって環境美化に努め、誇れる磨崖仏と自慢できる平成の覆屋を守り、後世に残し伝えたいと願っている。

元宮磨崖仏地元管理委員会

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 説明板の内容を転記します。

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元宮磨崖仏

名称 元宮磨崖仏
所在地 豊後高田市大字真中
指定年月日 昭和30年2月15日(国指定)

解説(向って右から)
1 毘沙門天(212cm) 多聞天とも云ふ
 北方守護神で福徳、富貴、財福の神
 七福神の1人
2 矜羯羅童子(105cm)
 不動明王の脇侍
3 不動明王(203cm)
 大日如来の化身と云い一切の悪魔を降伏させる
4 持国天(188cm)
 東方守護神で善賞悪を罰す
5 声聞形尊像(122cm) 或は地蔵菩薩
 地蔵であれば六道済度の菩薩である

制作年代 室町時代と推定
     声聞形は追刻と思われる
其の他 不動明王持国天の間に不動明王脇侍 制吒迦童子が欠落している

豊後高田市観光協会

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 一点補足しますと、毘沙門天の項で「多聞天と云ふ」とありますのは、「毘沙門天と思われるが多聞天という説もある」の意味ではありません。毘沙門天多聞天は同一の仏神であり、単独の場合は毘沙門天、四天王としてお祀りする場合は多聞天と呼び分けています。

右から毘沙門天矜羯羅童子不動明王

 風化摩滅は否めませんけれども、諸像の状態は比較的良好でお顔の表情などもよう分かります。半肉彫りであることも功を奏したのかもしれません。矜羯羅童子がお不動さんを向いて合掌している様がなんとも可愛らしいではありませんか。

右から持国天、声聞形尊像(地蔵菩薩か)

 お地蔵様らしき像が後刻と推定されているのも分かるきがいたします。明らかに、ほかの像とは掘り口が異なります。そのお慈悲に満ちたお顔は、持国天とは対照的です。

 覆い屋の中には、狛犬や仏様(風化摩滅が著しく尊名は不詳)が安置されていました。狛犬にもおちょうちょをかけてあり、近隣の方の信仰のほどがうかがわれます。

 

今回は以上です。本当は元宮八幡まで掲載する予定でしたが、長くなりすぎるので一旦切ります。次回はどこか別の地域を紹介する予定です。