大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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南緒方の名所めぐり その2(緒方町)

 南緒方のシリーズはずいぶん久しぶりです。前回は大字原尻・久土知(くどち)の名所旧跡を紹介しました。今回は大字大化(たいか)のうち、今山部落の名所旧跡の一部を紹介します。その中で、今山磨崖仏群はこのシリーズの目玉です。近年漸くその存在が知られるようになりまして遠方からのお参りも稀にあるようですが、この記事ではその磨崖仏群のうち一般にほとんど知られていない磨崖仏(冒頭の写真)も紹介します。

 

1 今山八幡

 道が分かりにくいので詳しく説明します。コメリ緒方店を起点に国道502号を牧口方面に行き、青看板に従って右折し県道634号を進みます。ずっと道なりに行って、「今山磨崖仏→」の立札のある角を右折して中央線のない道に入ります。くねくねと上っていき、上の道路に突き当たったら道なりに左折します。そのすぐ先で二股になっているので、右の道(上り坂)を進みます。やや道が狭くなりますが普通車でも問題なく通れます。上り詰めたところの突き当りを右折したら正面に今山八幡の鳥居が見えます。車は、神社の手前の広場(ゲートボール場跡地)に駐車しましょう。

※ 何度も右左折しなければなりませんが、このルートがいちばん簡単です。

 立派な鳥居が遠くからでも目立ちます。今は小さなお社が建つのみで狛犬や石燈籠などの石造物は見られませんけれども、この鳥居の規模から推して、かつてはもう少し大きな建物であったのではないでしょうか。鎮守の森の中にあって、神聖な雰囲気がございます。草刈理などのお世話が行き届いており、気持ちよくお参りをさせていただきました。

 

2 今山磨崖仏群

 もう10年以上前になるかと思いますが、はじめて今山磨崖仏を訪れたときにはまだ八幡様のところのゲートボール場が使われていて、地域の方が練習に励まれていました。「ようお参りに来てくれたなあ」と声をかけてくださったのが、懐かしく思い出されます。先日久しぶりに行ってみると、もうゲートボール場はなくなっておりただの広場になっていました。でも八幡様は相変わらずきれいに手入れがされていますし、あのときと同じように参道下り口には竹の杖が置いてありました。地域の方々のお蔭様で、安心してお参りをすることができます。

 さて、今山磨崖仏群は今山部落の裏谷に点在し、全部で5か所ほどあるそうです。そのうち五十谷(ごじゅうたに)の磨崖仏と切小野谷(きりおのだに)の磨崖仏は、書籍や各種インターネットサイト等で紹介されており、一般にも知られています。あとの3か所は地域の方におかれましてもご高齢の方でなければご存じないようで、標識もありませんので探訪は困難な状況です。幸いなことに、直近の探訪で谷筋(昔は水田が広がっていたそうです)を右往左往してそのうちの1つを見つけることができました。そこで、道順に沿うて五十谷磨崖仏、今回見つけた磨崖仏(名称不明)、切小野谷磨崖仏の順に紹介していきます。

 八幡様の鳥居の前に、このように立派な看板が立っています。五十谷磨崖仏の参道が難所なので竹の杖を借りておいた方がよいでしょう。ここから谷底の棚田跡に向かって、簡易舗装の道を下っていきます。

 しばらく行くと突き当りになっています。右が簡易舗装、左は草付の道です。どちらに下っても一回りしてここに戻ってくるのですが、草付の道は荒れ気味でマムシ等の被害が懸念されますので、右に行きましょう。

 

(1)五十谷磨崖仏

 突き当りから右の道を下り切って谷筋に降りたら、舗装路は直角に左に曲がっています。ここが五十谷磨崖仏への分岐です。正面を見ますと、向かい側の岩壁にコンクリートブロックを積み上げてこしらえた階段が小さく見えます。今からそちらに向かうのですが、木橋が崩れて直進できません。一旦左に下って谷川(ほとんど水はありません)を渉り、右に上がって本来の参道に返ります。この辺りは足元が悪く滑り易いので転ばないように気を付けます。

 少し行くと、また谷川を渉ることになります。この木橋は、以前は3本か4本の丸太を渡してありました。それが今では2本を残すのみとなり、しかも腐りかけていましたので、またぞろ左側から迂回しました。無事向こう側の斜面にとりついたら、コンクリートブロックの階段を登ります。ただブロックを重ねてあるだけで、踏面が狭く傾斜も急なので胆が冷えます。これらの木橋や階段は、かつて地域の方々が手弁当で整備してくださったもののようです。今や木橋は朽ちていますが、階段は一部崩れかけているものの気を付けて通れば問題なく上り下りできます。この階段がなければ磨崖仏に近寄るのは困難です。

 難所の道を頑張って上って、仏様の前に辿り着きました。はじめて拝観したときの感動が忘れられません。今回、凡そ10年ぶりにお参りをしまして、やはり心を動かされるものがございました。ほんに上品でお優しそうなお顔や、衣紋のたっぷりとした袖口のかさねの優美さが見事なものではありませんか。蓮の蕾のついた棒を持つ手の小さなこと、その持ち方もまた上品な感じがいたします。龕の下には大きな蓮の花が彫られています。

 こちらのお観音様には形式化が著しく、江戸時代末期の作と推定されているそうです。形式化が著しいと申しますと磨崖仏の作例としてはあまり好ましくないような印象を抱かれるかもしれませんけれども、こちらはお顔が写実的でありますので生き生きとした感じがいたします。均整の美が感じられて、わたしの大好きな磨崖仏のひとつです。

 この角度で見ますとお顔のやさしさが引き立ち、重厚な袖口や裾まわりの天衣のドレープ感がよう分かります。よし近世の作であろうとて、これほどまでに彩色や細かい彫りがよう残っていることに驚かされます。それは舟形に龕をこしらえてレリーフ状の薄肉彫りで仕上げてあることと無関係ではないでしょう。

 

(2)名称不明の磨崖仏

 五十谷磨崖仏から簡易舗装の細道まで後戻り、谷の左側に沿うて先に進んでいきます。棚田跡を右に見ながら道なりに行き、磨崖仏の標識に従って右に折れて小さな橋を渡りすぐ左に折れます。少し行ってまた右に折れると、谷川に小さな橋がかかっています。

 この橋を渡って正面の斜面を上がればすぐ、切小野谷磨崖仏の正面に出ます。切小野谷磨崖仏には後でお参りすることにして、この小橋の手前を右に折れます。道らしい道はなくなりますが、左の斜面に沿うて先に進んでいきます(先ほど通ってきた道の反対側の山すそを逆に辿るイメージです)。

 この辺りは少し通りにくいので、適当に右によけながら段差を上り下りして、左の斜面(崖)から離れすぎないようにして先に進みます。

 そう遠くないところに、写真の磨崖仏が彫られています。五十谷磨崖仏と同様に形式化が著しく、おそらく江戸時代末期のものと思われます。ほぼ真円の光背や頭部の表現など図案化を極めており、均整の美が感じられるではありませんか。優しそうな表情や衣紋の細かい文様がよう残っておりますし、正坐した脚に袂がかかってふっくらと外に流れる様子なども上手に表現してあり、なかなかのものであると感じました。下部にはやはり蓮の花が彫られています。表現の類似性から、五十谷磨崖仏と同じ文脈のものであると見てよいでしょう。

 こちらの磨崖仏は道案内もなく、書籍やインターネットで紹介されていないこともありお参りが稀です。わりあい簡単に見つけられると思いますので、切小野谷磨崖仏にお参りされる際には少し足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

 

(3)切小野谷磨崖仏(乳不動)

 さて、いよいよ切小野谷磨崖仏でございます。こちらはその珍妙なる像容、立地、いわれ、何もかもが素晴らしく、今山磨崖仏群を代表する磨崖仏といえましょう。前項最初の写真の橋まで後戻って、対岸に渡ります。正面の斜面を少し上り左奥に行きます。

 谷の奥詰め、岩塊の折り重なる奥詰めの岩壁に龕をこしらえてお不動様が彫られているのが見えてきます。ものすごい立地に胆が冷えてまいります。ありがたいことに、こちらにもコンクリートブロックを重ねて階段をこしらえてくださっています。滑りこける心配がなく、安全にお参りすることができます。

 手前に安置されているお不動さんです。磨崖仏に目を奪われてつい見落としてしまいがちですが、素晴らしい造形に心を動かされます。デザイン性、彫りの技術、何から何までよう行き届いています。

 近づいてみますとその大きさに圧倒されます。2.5mは下らないでしょう。立派な眉毛を吊り上げてさても厳めしげなる目つき、立派な鼻、櫛の目も細やかに総毛立った御髪など、迫力満点のお顔は一度見たら忘れられません。衣紋は簡略化を極めた表現にて、ほぼ平面の仕上げになっているのもおもしろいところです。羂索を持った手の下で、衣紋が三角形に不自然に膨らんでいるように見えます。これは羂索と一緒に三角形の何かを握り込むようにして持っているためと思われますが、その三角形のものと衣紋との境目が分からないので何とも言えません。非常に珍妙なデザインです。大きな足が180°開き、たいへんなガニ股になっているのもまたおもしろいではありませんか。

 さて、胸を見ますと、なんと乳房が表現されています。これが乳不動の呼称の所以で、ほかではなかなか見かけない表現です。昔、粉ミルク等がなかった時代には、お乳の出ないお母さんは神仏に縋りてお乳の出るようになりますようにと願をかけながら、貰い乳などをして赤子を育てました。こちらのお不動様はそういったお母さんの信仰を集め、かつては近隣在郷より盛んにお参りがあったそうです。いつの時代でも、子供が元気に育つことはみんなの願いです。像容のおもしろさについ目を奪われてしまいますけれども、その根底にある昔の方の困り・切実な願いに思いを致して、この文化財・史蹟の価値を正しく理解することが大切であると存じます。

 

3 今山の新四国霊場

 切小野谷磨崖仏にお参りをしたら、もと来た道を通って八幡様まで戻ります。車は置いたまま、車で上がって来た道への下り口まで行きますと、二股になったところの上にたくさんの石造物が寄せられているのが目に入ります。新四国の札所や庚申塔などいろいろあります。

一字一石三部経塔

 道路からよう見える一字一石塔です。石板状になっていますが側面は不整形で、なかなか格好のよい塔ではありませんか。

地神塔

 地神塔は、大野地方(特に緒方町周辺)や南海部地方の内陸部で盛んに見かけます。国東半島では一般に「社日塔」とか「社日様」と呼ばれておりますが、両者は同じ信仰によるものであり、地の神様をお祀りしてあるのです。こちらの地神塔は大型で、文字の崩し方が流麗な感じがして見事なものです。

 地神塔のところから左奥に行けば、小さな仏様がたくさん並んでいます。台座には札所の番号が彫られており、並び順は飛び飛びになっていますが八十番台のものも見られたことから、四国八十八所の写し霊場、所謂新四国の札所であることが分かりました。その後ろには半ば斜面に埋もれるようにしてたくさんの庚申塔(全て文字塔)が並んでいます。

 庚申塔はご覧のとおり、埋もれたり折れたりしているものがほとんどで、信仰が薄れていることが覗われます。銘は一列に「庚申」で、その周りに五角形の枠をなしている例が目立ちました。

 庚申塔はいずれも小型のもので、銘はありますけれども庚申石といっても差し支えない規模です。その数の多さから、待ち上げのたびに1基、また1基と造立していったと思われます。

 新四国の仏様は苔の侵蝕が目立ちますけれども、彫り自体はよう残り比較的良好な状態を保っています。格子状に彫ることで螺髪を表現するなど簡略化を極めていますけれども、お顔や体の表現は一体々々異なります。近隣の道路工事などで、札所をこの場所に集めたのでしょう。しかし88体全部がここにあるわけではありませんでした。きっと近隣の山の中などに残っている札所もあると思います。

 台座の文字も消えかかっていますけれども、寄進された方のお名前が彫られていることに気付きました。磨崖仏群、八幡様、庚申塔群、新四国の札所、地神塔など、この一帯はありとあらゆる信仰の集まる場所であったようです。

南無阿弥陀仏

 もう1段上がったところにひときわ立派な塔が立っています。おそらく新四国霊場の拠点であったのでしょう。

 少し奥に行って、めいめい墓の並んでいるところにも石塔が立っていました。これは見るからに墓碑ではなく、供養塔の類と思われます。碑面が荒れていますが、刻像塔のような気がいたします。

 すぐ近くで、水路が二股になっているところがありました。右に分かれる方の水路は、道路の下をくぐって反対側に出ています。丁字に分岐させるのではなく、二股に分岐した先で直角に折れる構造にしてある点に、昔の方の智恵が感じられました。

 

今回は以上です。いずれも近接していますので、簡単に巡拝することができます。有名な観光地ではありませんけれども庶民信仰を今に伝える、貴重な史蹟です。有名な切小野谷磨崖仏だけでなく、近くの史蹟・文化財も合わせて見学・お参りをされますと、より楽しく有益な一日になることでしょう。