大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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東有田の名所めぐり その1(日田市)

 このシリーズでは、日田市は東有田地区の名所旧跡をめぐります。

 さて、東有田地区は大字東有田・羽田(はた)からなります。この地域は天瀬町山国町玖珠町との境界で、日田市街地から離れるごとに山深くなり、狭い谷筋がいくつにも分かれて小部落が点在しています。ところの名所を申しますと、その筆頭は藪の不動様でしょう。月出山岳(かんとうだけ)も有名で、展望台からの景勝はもとより、史蹟としてもたいへん興味深いところです。ほかにも方々に点在する小さな神社や堂様、農村の風景などよいところがたくさんあります。

 

○ 地名「月出山」と「月出町」について

 大字東有田の奥詰め、玖珠町との境界に月出山岳があります。この山の由来を申しますと、景行天皇が日田からこの山の上に月の出た風景を称賛されまして、久津媛に山の名を問うたところ、方角を訊かれたと勘違いした久津媛が関東と答えたことから、この山を「かんとう」と呼び「月出山」の字をあてるようになったとのことです。山名に因んで、麓の地域を昔は月出山村と呼びました。明治8年には池部・諸留(もろどめ)・月出山の各村が統合して東有田村になり、同22年の町村制施行により東有田村と羽田村が合併して行政単位としての東有田村が発足し、昭和30年に日田市に編入され今に至ります。

 いま、日田市のうち平成の合併以前の区域(旧日田市)では、市街地においては住居表示が施行されており、それ以外の地域においては通称町名が使用されています。月出町(つきでまち)は通称町名で、おそらく旧の月出山村の範囲を踏襲したものでしょう。月出町はいくつかの小部落(土居)を内包しており、今回めぐる藪部落もそのひとつですし、月出山岳の直下には月出山(かんとう)部落もあります。「つきで」と「かんとう」、ややこしいような気もしますが、部落名としての月出山(かんとう)と、それを内包する地域(旧月出山村)の名称が同じだと紛らわしいので、通称町名として後者を月出山町(かんとうまち)ではなく月出町(つきでまち)としたのではないでしょうか。「月出町」という町名もまた、風雅ですし、古事との関連性を残したよい事例であると感じました。

 

1 藪の龗神社

 道順を先に記しておきます。高速道路で行くのが簡単です。高塚インターで下りて、左に行きます。高塚さんを過ぎて高速の高架下で右折します(右側に藪不動尊の道標あり)。一つ目の角を右折して高速の下をくぐり道なりに左に折れ、しばらく行くと三叉路の手前、右側に鎮座しています。道路端に灯籠が立っているのですぐ分かります。車は、三叉路のところに邪魔にならないように停めるとよいでしょう。

 通りがかりに参拝したのですが、鳥居の扁額の見事なお細工に驚きました。装飾的な文様を施しており、あまつさえ竜がぐるりと取り巻いていています。しかもその竜が扁額の縁に沿うて四角形をなすのではなく、絡みつくような表現になっているのが素晴らしいではありませんか。これはよいものを拝見しました。

 ところで、扁額にある「雨冠に龍」の字は日常では見かけない漢字です。この字は、「雨冠」と「龍」の間に「口」が3つ横並びになった「龗」の異体字ないし略字でしょう。龗は「おかみ」とか「りゅう」「りょう」と読み、水の神様の意です。「龗神社」という神社は他県にも鎮座しており、その読みが「おかみじんじゃ」「りゅうじんじゃ」など一定していないようです。こちらの「龗神社」はどう読むのか、分かりませんでした。龗神社、貴船神社龍神社などは、いずれも雨乞いの信仰に関係の深い神社です。県内では貴船神社(用字は種々あります)が圧倒的に多いと思います。

社地記念
東有田村藪組共有ノ境外地ヲ大正十二年七月村社龗神社ニ奉納ス

 この碑を見ますと、「雨冠」と「龍」の間に「買」の上の部分が入っています。「口3つ」の略記でしょう。

 境内に上がり着いたところに対の灯籠が立っています。この灯籠はそう大きくはないものの優美な造りで、しかも台座の四面に細やかな彫刻がなされています。

 「獻燈」の文字を浮彫りにしてあります。太い筆にたっぷりと墨を含ませて書いたような、堂々たる風格が感じられる字体です。下部には波模様に兎。兎が首をひねって見返る様もよいし、波模様が下部の輪郭線によう合うています。

 こちらは牡丹に唐獅子です。こんなに下の方の目立たないところなのに、それはもう細やかな彫りですし、美術的な観点からもかなりの完成度ではないでしょうか。

 この鳥は雉でしょうか。後ろは茅の原っぱのようです。苔がついていますけれども、それもまたこの彫刻の内容によう合うています。見れば見るほど素晴らしいお細工です。もし参拝される際には、ぜひ両方の灯籠のお細工を注意深く観察してみてください。

 境内は掃除が行き届いています。お社は立派な建物に建て替わっており、アルミサッシなので風雨による被害も少ないと思われます。すぐ後ろに高速道路が通っていますけれども、境内に立ちますと神聖な雰囲気が感じられました。

安政四丁巳歳 十二月艮辰建立
月出山村 氏子中

 安政4年と申しますと今から凡そ165年前です。今は灌漑設備の発達や減反等により、昔のように旱害に困ることはなくなったと思いますが、日田方面は台風や集中豪雨による大水の被害が相次いでいます。金輪際、そのような被害がないことを願うばかりです。

 

2 藪の庚申塔

 藪不動尊の案内に従って神社下の三叉路を左折します。くねくねと下って数軒の民家を見送ると、道路右側に庚申塔が立っています。

 道路からほど近いので、見落とすことはまずないでしょう。灯籠と庚申塔は、立派にこしらえた基壇に接着されています。倒伏の危険がありませんので何よりでございます。

猿田彦大神

 猿は異体字で、旁の「口」の下に横棒が入っています。紀年銘は見当たりませんでした。玖珠町では、「腰を曲げた庚申さん」つまり上部が手前に大きく湾曲した「猿田彦大神」の庚申塔を盛んに見かけます。こちらは玖珠からもそう遠くないものの、「腰を曲げた庚申さん」ではありませんでした。塔の形状と銘の大きさのバランスがよいと思います。紀年銘は見当たりません。

 

3 藪不動尊

 藪不動尊は近隣在郷はおろか遠方の方にも知られており、昔は高塚さんに比肩するほどの人手があったそうです。さしもの藪の不動様も、時代の流れにより昔よりはお参りが減っているようですが、当日は県外ナンバーの車もちらほら見かけました。きっと、定期的にお参りに寄る方も多いのでしょう。特異なる自然地形を利用した霊場には個性的な像容の仏様がたくさんお祀りされています。その霊験は言うに及ばず、地域の方々による環境整備が行き届いており椿など四季折々の花が咲きます。みなさんに参拝をお勧めしたい、名所中の名所です。

 庚申塔を過ぎて道なりに行けば、右側に参道上り口があります。上の駐車場まで車で上がってもよいし、下の駐車場から階段を歩いてもそう大変ではありません。私は下から歩きました。

不動尊
霊場 諸願成就 火難より一家を守る不動 交通安全・家内安全 身代り不動 大祭10月28日 日田市月出町

 入口には立派な標柱が立っています。昔から地域内外の絶大なる信仰を集めてきたことを物語っています。

 説明板の内容を記しておきます。

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東有田地区の名所旧跡⑩
不動尊(月出町)

 当不動尊は月出町藪の寺院で元禄15年(1702)の創建。本尊は不動明王(仏教の信仰対象で大日如来の化身とも言われ、悪を経ち仏道に導くことで救済する役目を担っていることから、一般的な仏像とは違い恐ろしい表情をしている)。巨大な岩の奥に不動明王が祀られ、さらに奥の院に進むことができる。山中にひっそりとたたずむ姿からは、霊験あらたかな雰囲気が感じられ、遠方より熱心な参拝者が訪れる。毎年10月28日に「藪不動尊祭」が開かれる。

東有田地区振興協議会

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 東有田地区振興協議会が選定した「東有田地区の名所旧跡」のパンフレットがあればぜひ入手したいものです。

 参道(徒歩道)の上がりはなには、早速個性的な仏様がお祀りされています。こんな坐り方の仏像は見たことがなく、その厳めしいお顔だけ見ますとお不動様か仁王様にような気もしましたが、違うと思います。不勉強で、何の仏様か分かりませんでした。

 参道の階段には手すりが整備されており、蹴上がごく低いので安全に通行できます。この傾斜地に、椿などが植わっています。季節を違えて、何度でもお参りしたくなります。

 階段を上まで行ってもよいし、途中で左に入って上の駐車場に出て、坂道経由で上ってもかまいません。駐車場の外べりに沿うてたくさんの仏様が寄せられています。「藪不動尊では無関係です」「持ち込まないでください」の旨の掲示がなされていたことから、何らかの事情でお祀りの難しくなった仏像などを個人で持ち込んで安置する事例が度重なったことが分かります。

 外部から持ち込まれた仏様の中に、ひときわ古そうな馬頭観音様を見つけました。どのような経緯でこちらに安置されたのでしょう。

 上の駐車場から見上げますと、細い通路が二股になっています。折り返して上がったところが不動様のくぐり洞になっています。

 分かれ道には、このように道標が立っています。「本院」が、お不動様のくぐり洞です。奥の院には後で行くことにします。

 これはすごい!大岩と申しますか、岩壁の裂け目がくぐり洞になっているのです。このように特異な地形は霊場におあつらえ向きです。鎖渡しなどはなく、手すりのついた緩やかな参道でここまで上ってこられますので、安心してお参りできます。

 基壇を何重にもして、火袋のところのほっそりとした造り、宝珠の形状など何からなにまで立派に整うています。

 くぐり洞の入口に来て、はっとしました。かごの木がものすごい場所から、とんでもなく斜めに生えているではありませんか!これはすごい、どうしてこんな場所に大きな木が!?この木を見るだけでも立ち寄る価値があります。標柱には「特別保護樹 カゴノキ」とあります。この生え方ですと、災害による折損などが懸念されます。今後も樹勢が衰えることなく、永くもってほしいものです。

 崖口には片手を高く上げたお不動さんがお祀りされています。火焔の表現、立ち姿、どれをとっても見事なものです。特に足元の半肉彫りの部分から、上半身の丸彫りに近い表現のところまでが違和感なくなめらかにつながっているのがよいと思います。ほんに強そうで、頼りになりそうなお不動様でございます。

 くぐり洞に入ってすぐ、五角形の深い龕をこしらえてお弘法様がお祀りされています。

 振り返って撮った写真です。ものすごい地形と、カゴの木の特異なる樹形がお分かりいただけると思います。

 洞内にはお不動様をはじめとして、お地蔵様などいろいろな仏様がお祀りされていました。お供えがたくさんあがっています。お参りをするところが何か所もありますので、お賽銭用の小銭をたくさん用意しておいた方がよいと思います。

 出口を外から撮りました。岩壁の大きな裂け目に岩塊が嵌まり込んでおり、いったい何が何して何とやら、自然地形のおもしろさ・美しさが感じられました。

 さて、今度は奥の院です。こちらも緩やかな参道が整備されていますので、容易にお参りできます。やはり、くぐり洞の様相を呈しています。

 洞内にはお不動様やお弘法様がずらりと並んでいます。先ほどよりも大きい像が多く、特にお不動様は大造りで省略的な表現ながら、言葉が適切でないかもしれませんが漫画的な表現がおもしろく、なぜか非常に愛着を覚えました。

 通り抜けて振り返った写真です。ここからこの下の段にくるりと回り込んで、元の道に返ることができます。ただしここから先は道幅が狭いので、来た道を後戻った方がよいと思います。

 

今回は以上です。次回は、夜明地区の北山権現を紹介します。

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