大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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菅尾の名所めぐり その2(三重町)

 少し前に、久しぶりに三重町と清川村と訪ねました。それで今回からしばらく、三重町・清川村の記事が続きます。長い記事が続いていたので、ときどき短めの記事も挿んでいくつもりです。よろしくお付き合いくださいませ。

 さて、今回の探訪では予定しておきながら訪ね当たらなかった文化財も数か所ありましたけれども、予定外のものを発見することも多々あり、大満足の1日でした。その過程で思いましたのは、大野地方は石幢の宝庫ということです。庚申塔や宝塔、宝篋印塔、石橋など種々見学した中で、特に石幢をたくさん見学できました。石幢の数は、大野地方が県内随一かと思います。写真を見ただけではどれがどれやら分からなってしまいそうで、取り急ぎ整理を終えたばかりです。記事の中にも石幢が次から次に出てきますので、なるべくそのお塔のよいところや個性が分かるように記していきたいと思います。ただ、気がかりなのが未指定の文化財の項目名です。同一部落内の細かい地名(小字やシコナ)あるいは組名が分からず、ひとまず「イ」「ロ」などと付記して区別したところが何か所かあります。項目名の地名が間違っている可能性もあります。もしご指摘等あれば教えて頂ければ幸いです。

 まずは菅尾地区の記事から始めます。今回は大字宮野をめぐります。記事中に出てくる4基の石幢は、いずれ劣らぬ優秀作です。車を停めるスペースがないところが多いので、少し距離が長いのですが歩いてまわった方がよいかもしれません。

 

6 深野の層塔と石仏

 道の駅三重から国道326号を犬飼方面に行き、「この先細長橋は通行できません」の看板を左折して旧道に入ります。深野集会所のすぐ先を右折して、防火水槽のある角をまた右折します。道なりに行って大宮橋をくぐってほどなく、道路右側に層塔と石仏が並んでいます。

 このように岩棚に龕をこしらえて、3体の仏様がお祀りされています。線香立てのほか、めいめいに花立も置いてありました。中央はお弘法様です。左の仏様は頭をすげかえてあります。謂れは分かりませんでした。

 層塔は三重で、どっしりとした造りです。塔身前面には、浮彫りの仏様の痕跡が見て取れます。左寄りに1体確認できましたので、もとは対になっていたものと推量しました。宝珠が破損しているほかは比較的良好な状態を保っています。

 

7 有田の石造物

 層塔をあとに、ずっと道なりに行きます。宮尾部落のかかり、最初の土居が有田で、道路端に石幢や供養塔が並んでいます(冒頭の写真)。一本道なのですぐ分かります。

 宝珠が破損しているほかはすこぶる良好な状態を保っています。大きな笠が立派で、内刳りを深くとっています。それが龕部の保存状態に一役買うているのでしょう。笠と中台とのサイズ感の違いが目立ちますけれども、全体としてようまとまっているではありませんか。

 大野地方の石幢は、堂身も龕部も矩形のものをよう見かけます。ところがこちらは龕部が六角形、それ以外は円形であり、臼杵方面で盛んに見かけるものに近い形状です。語弊を懼れずに言えば、龕部は六地蔵様を彫り出すために面取りをしているので六角形の体ををしていますけれども、角を落とせば十二角形になり、円形に収斂します。

 菅尾石仏下の文化財案内板には、次のように記されています。

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有田石幢

 有田の道路沿いに建てられているこの石幢は的場石幢と同じ様式、技法で、同一石工との説がある。明応2年(1493)や逆修塔の銘があり、総高2.4m。

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 龕部を拝見し、めいめいのお地蔵様の緻密な表現に感激いたしました。厚肉にこしらえてあり、曲線を自然に仕上げてあります。

 右の仏様は、蓮華坐や衣紋はもとより、印を結んだ指先まで丁寧に表現されています。惜しむらくはお顔の傷みです。他の部分がほとんど傷んでいないので、意図的なものと思われます。さて、廃仏毀釈の影響か、または誰かのいたずらでしょうか。

大乗妙典六十六部

 天保2年の銘のある廻国供養塔です。近隣には菅尾石仏がありますから、この辺りにもお六部さんがまわってきたのかなと考えました。

 

8 的場の石幢

 有田の石幢のすぐ先を左折して急坂を上り、台地上の道に合流して道なりに右に行きます。この辺りは一面に畑が広がり、たいへん気持ちのよいところです。畑の中を進んでいくと、右側の墓地の入口に石幢が立っています。道路端なのですぐ分かります。車で来た場合、1台は駐車できます。

 これは素晴らしい。宝珠まで完璧に残っています。笠は有田の石幢よりも若干小さめで饅頭笠に近く、内刳りを深くとって、へりには垂木を彫り出しています。龕部もすこぶる良好、六地蔵様を彫り出して面をとりながらも、上下の接合部は円柱を保っています。全体の調和を考慮した造形といえましょう。擂鉢状の中台からシームレスにつながる幢身は中膨れになっており、この部分がほんに優美なる雰囲気を醸し出しているではありませんか。

 説明板の内容を転記します。

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大分県指定有形文化財
的場石幢

 この石幢はもと字的場にあったが、耕地整理のため昭和52年12月に現在地に移された。総高2.4m、均整のとれた塔である。龕部に六地蔵を半丸彫にして彫られているが、十王像はないのが特徴である。
 銘文に「奉彫刻六地蔵石像一宇 逆修全功徳慶庵梁公沙弥 千時明応二天癸丑三月十日謹誌」とある。室町時代の明応2年(1493)の造立であり、町内最古の記念銘を持つ石幢であることがわかる。

昭和51年3月30日指定
三重町教育委員会

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 530年も前の造立とは思えない保存状態は、奇跡的といえましょう。

 龕部を拝見しますと、お地蔵様の袂の膨らみ、お顔の表情など、有田石幢よりもさらによう分かります。優美かつ高貴な感じがいたします。めいめいに所作が異なりますから、実物をご覧になる際には注意深く見比べてみてください。

 この日の探訪では笠などが大きく破損したところが裏側になるようにしてある石幢を盛んに見かけました。ところが的場の石幢は写真をご覧いただくと分かるように、どちらから見ても完璧な姿で立っています。

 

9 脇清水の石幢(イ)

 的場石幢の先の辻を右折して坂道を下れば、有田石幢から直進してきた道と合流します。道なりに行ってまた坂道を上り、反対側の台地に上がり着く手前で、カーブミラーのある角を鋭角に右折して折り返すように上ります。二股を右に行って道なりに左に折れた先の右側に石幢やお弘法様、弁天様がお祀りされています。こちらの石幢は文化財に指定されておらず、細かい地名が分かりません。このすぐ近くの別の場所には文化財に指定されている石幢が立っており、区別のためにこちらには「イ」と付記しました。

 中台と笠を失い、宝珠を龕部に接合してあります。おそらく以前倒壊したか何かで中台と笠が破損したので、壊れずに残った部分を積み直したのでしょう。龕部は円柱に面取りをして六地蔵様を彫っています。元々の彫りが浅めであることが功を奏してか、諸像の姿は思いの外良好でした。

 脇清水で見つけた2基の石幢のうち片方のみが文化財指定されている理由は、私には分かりません。全部を文化財指定するとあまりにも数が多いので、どこかで線を引かざるを得ないのでしょう。本質的には指定の有無や保存状態によらず、等しく価値のあるものであるはずです。これは、地域の方々の信仰対象である文化財を見学する際には特に心がけたい事柄です。こちらは近隣の方々の信仰が篤いようで、掃除が行き届き、お花があがっていました。ありがたく見学させていただきました。

 

10 脇清水の石造物(ロ)

 笠のない石幢前を道なりに左に折れたら、右に畑、左に民家を見ながら進んでいきます。少し行けば、道路左側に文化財に指定されている方の石幢が立っています。すぐ分かります。

 この石幢は、今回の記事でこれまで出てきた3基とはまた雰囲気が異なります。笠のみ円形、ほかは矩形です。特に幢身の底面は完全なる正方形ではないことが見て取れます。風化摩滅により銘文は全く残っていませんが、室町時代の作と推定されているとのことです。

 中台のへりには細かい連子模様が施されています。笠は内刳りが深く椎茸型、宝珠も含めて傷みが進んできています。特に興味深いのは龕部で、3面には1面あて2体ずつの六地蔵様が、残る1面には3体の十王様が浮き彫りになっています。だいたい大野地方には矩形の龕部をもった石幢が多く、ほとんどが8体の像を彫っています。すなわち3面に六地蔵様、1面に二王様(十王様のうち2体)が定番です。ところがこのように、9体以上の像を彫ったものもたまに見かけます。やはり像の数が多いと豪勢な感じがいたします。

 火伏の地蔵様としての信仰が篤い由、一般的な六地蔵様の信仰とはまた異なります。

 このように、上段に1体、下段に2体の十王様が彫ってあります。上段が閻魔様ではあるまいかと推量しました。めいめいに矩形の枠の中に彫ってあり、表情こそ見えづらいものの大まかな形はよう分かりますし、特に高貴な感じの被り物が目立ちます。よう見ますと腕の所作も夫々異なります。

 角にあたるところが一部割れているものの、お地蔵様は良好な状態で残っています。彫りが深く、細部に至るまで十王様よりもずっとよう分かります。お顔や肩の丸っこい表現や、袂のふっくらとした感じなどさても見事な表現にて、優美な印象を覚えました。

 

今回は以上です。次回、もう1回だけ菅尾地区の記事を書いたら、三重地区に移る予定です。興味深い石造文化財が次から次に出てきます。

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