大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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三郷の名所めぐり その3(山国町)

THE TASTEFUL VIEW OF CHOYOBASHI BRIDGE OVER THE STREAM, YABAKEI.
耶馬溪)仙境の清流に架かる朝陽橋の美観

 久しぶりに三郷地区のシリーズの続きを書きます。今回は過去の写真ばかりなので、現状が異なる可能性がありますことをお含みおきください。火伏地蔵は行き方が難しいので詳しく説明します。

 

4 朝陽峰の景

 山国庁舎から橋を渡り、国道212号を僅かに耶馬渓方面に行きますと左側に宮地嶽神社の鳥居があります。この裏山を朝陽峰と申しまして、耶馬六十六景に含まれる景勝地です。

 説明板の内容を転記します。

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朝陽峰(ちょうようほう)の景
名勝耶馬渓 昭和11年指定

 この岩峯の群は数百万年前の耶馬溪火山の噴出物、凝灰角礫岩が水食を受けてできたものです。前面の最も高いものが雄岩、西側のそれに次ぐものが雌岩、総称して夫婦岩とも呼ばれています。中腹の宮地嶽社の横をのぼれば洞窟に奥の院があり、天満社がまつられています。

中津市教育委員会

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 この景観は、国道からではその真価がわかりません。説明板のところに駐車して、朝陽橋を渡ってぜひ対岸から眺めてみてください。

 今は樹木が茂って奇岩の様子が分かりづらくなっていますので、冒頭に戦前の絵葉書を掲載しました。今の道路敷になっているところに、古い藁ぶき屋根の民家が並んでいます。民家と岩峰の間に狭い道路が通じていたのでしょう。また、宮地嶽神社の鳥居は民家に隠れています。朝陽橋も、現役の橋とは全く違います。

 

○ 宇曽の木挽唄

 大字宇曽で昔唄われた木挽唄に、朝陽橋(朝日橋)を唄い込んだ文句がありますので紹介します。山国町林業の盛んな土地で、昔は槻木の奥まで森林軌道が通じていました。

〽ハー 木挽さんとて一升飯ゃ食ろうて
 鋸と二人で金儲け ヤーゾロッコン ゾロッコ
〽ハー 登りゃ英彦山、下れば中津
 ここが思案の朝日橋 ヤーゾロッコン ゾロッコ
〽ハー 木挽さん帰るかと鋸の柄にすがる
 離せまた来る秋山に ヤーゾロッコン ゾロッコ

 

5 宮地嶽神社

 景観を楽しんだら、宮地嶽神社に参拝しましょう。道路からすぐのところなので簡単にお参りできます。

 道路端に鳥居が立っています。横にはものすごく大きな石灯籠が立ち、竿には「御神燈」と彫ってありました。中台と笠は不整形でたいへん大きく、火袋には三日月型の窓をとってあります。お灯明をあげるのはなかなか難渋しそうな灯籠です。

 石段を上がって左側のところに龕をこしらえて、中に石祠が安置されています。神像でありましょうか?優しそうなお顔の像が浮き彫りになっています。銘がなく詳細は分かりませんが、寄附の札がいくつも安置されており、信仰が篤いことがわかりました。

高照
皇紀二千六百年
 昭和十五年
 秋日之建設
神官 増永重正 

 参道を上がって右側にも立派な灯籠が立っています。銘板から、紀元2600年を紀念して建立されたことが分かります。

 宮地嶽神社にお参りをして、久しぶりに奥の院にもお参りをしたやと思いまして、お社の右側から上ってみました。岩にステップをつけてあります。

 ほどなく、ものすごい急斜面の参道になりました。落ち葉が堆積し、ずるずると辷ります。ところどころロープを設置してくださっていますが、残置ロープをあてにするのは禁物です。しかも急斜面をトラバースするところに限ってロープがなく、どこをどう通っても足が辷りそうで身の危険を感じましたので、途中であきらめて引き返しました。それと申しますのもこの急斜面が擂鉢状になっており、足を辷らしたが最後ずるずるといって、最後は宮地嶽神社横の崖上からポーンと中空に放り出されることになるのです。

 引き返さずに上っていけば奥の院の岩屋に出ます。そこから尾根伝いにさらに上れば朝陽峰の頂上まで上がることができ、その突端に石祠がお祀りされています。学生の頃に一度上ったことがありますが、適当な写真がありませんので掲載はできません。頂上の石祠のあたりは右も左も切れ落ちた狭い岩尾の通路で、申し訳程度に設置されたカネの手すりも壊れかけており、足が竦みました。落ちたら命の瀬戸です。

 奥の院や頂上までの道中はとてもお勧めできませんが、宮地嶽神社のお社までであれば安全に通行できます。紅葉の時季にぜひ訪ねてみてください。

 

6 大石峠の旧トンネル

 山国町と日田市を隔ての峠は、主要なルートを申しますと大石峠(おしがとう)と伏木峠の2つがあります。このうち、大石峠の旧道に残るトンネルを紹介します。現在、山国・日田間の往来には通常奥耶馬トンネルを通ります。奥耶馬トンネルの開通以前は伏木峠経由のルートが利用されていました。今回紹介する大石峠の旧トンネルは幹線道路であったことはなく、間道のような存在であったと思われます。

 さて、朝陽峰から国道を日田方面に行き、奥耶馬トンネルの直前で右折し、上の道路に出たら左折します。右に1軒の民家を見送って次の角を鋭角に右折するのですが、車の場合は一旦通り過ぎて道幅の広いところに駐車して、歩いた方がよいでしょう。先ほどの脇道に入り、道なりに進んでいけば旧トンネルに至ります。

 この辺りは大字長尾野は大石峠部落のうちです。旧長尾野村は元来日田郡のうちでしたが、交通不便等の事情により町村制施行の際に三郷村に入ったとのことです。

 トンネルまでの掘割も荒れ放題で、落石や倒木が折り重なっています。その向こうに口を開けるトンネルの大きさに、呆気にとられました。比較対象のない写真なので分かりにくいと思いますが、ものすごい大きさです。これは、素掘りのトンネルの内壁が少しずつ崩れていった結果です。それで路盤がずいぶんかさ上げされております。車輛通行止の看板などなくても、物理的に車輛はまず通れないでしょう。無限軌道であっても進入できない気がします。

 このトンネルはいつ頃まで車輛を通したのでしょうか。こんな姿になったのは10年や20年のことではありません。天井には大きな岩がいくつも顔を覗かせ、いつ落ちてくるやら知れません。車が通れなくなってもしばらくは、地域の方が近道として利用していたそうですが、今はとても危ないので利用者は全くありません。地域の交通に関する史蹟として貴重な構造物であると思いますが、もし見学される場合は安全第一を心がけてください。

 

7 宇曽の火伏地蔵

 大石峠から国道を後戻って耶馬溪方面に行きます。先ほど紹介した宮地嶽神社を過ぎて三郷小学校の角を左折します。小学校の裏側の空きスペースに駐車させてもらうしかないので、学校が休みの日がよいでしょう。

 ここが参道入口です。ここから何の標識もありませんので、それと知らいで行き着くことはなかなか難しいと思います。

 このような細道を道なりに上っていき、左にカーブして少し行きますと、右側の獣害予防柵が開け閉めできるようになっているところがあります。そこから柵の向こう側に抜けます(必ず元通りに閉めます)。奥に行って斜面に取り付き、踏み跡を辿って少し上りますと右方向に簡易舗装の道が分かれています。

 この道を進んでいきます。ここまで来たらもう迷う心配はありません。一本道です。崖際のかなり細い道ですが難なく通行できました。

 振り返った写真です。段差が高くなってきていますので気を付ける必要はありますが、ロープを張ってくださっていますし足元もしっかりしていますので、問題ないと思います。

 先ほどの通路のどんづまりから直角に折れて、鎖渡しで上の段に上ります。振り返って撮った写真です。鎖がやや頼りない感じがいたしましたが、ステップが豊富ですから鎖がなくても上り下りできるレベルでした。そう高くもありません。

 上り着いて左側の岩屋には矩形の龕を2つこしらえて、石仏が2体、木仏が1体お祀りされています。下に据えられた木片には墨書にて文言が書かれていますが、読み取りは難しくなっていました。

 右側には風化摩滅が進みに進んで、もはや元のお姿をうかがい知ることも難しい状態の像が安置されています。こちらにはお花があがっています。おそらく、こちらが火伏地蔵様なのでしょう。愛宕権現本地仏であると考えられます。昔、草葺屋根の家ばかりであった時代はクドや囲炉裏など火を使う機会が多く、防火祈願は真に迫ったものであったと思われます。

 

○ 宇曽の臼すり唄

 宇曽で唄われた臼すり唄を紹介します。県内各地で臼すり唄、ものすり唄が唄われていましたが、宇曽の臼すり唄は節が細かくてなかなかようございます。最早日常生活の中で石臼を回す機会はなくなりましたので、このような唄が顧みられることは稀です。でも郷土の唄として、伝承の機会があればと思います。

〽臼はナ 石臼、遣木は堅木 そばにいるのがエ 忍び様
 アーすれたナ、すれたナ、そばに そばにいるのが忍び様
〽臼のナ 元ずりゃなりふりゃいらぬ 襷つめかけエ 引き回せ
 アーすれたナ、すれたナ、襷 襷つめかけ引き回せ
〽臼はナ 引きゃまう引かねばまわぬ 引かでまうのはエ 風車
 アーすれたナ、すれたナ、引かで 引かでまうのは風車
〽好かぬナ 男がまた来て失せた 破れアシナカのエ 音がする
 アーすれたナ、すれたナ、破れ 破れアシナカの音がする

 

8 犬王丸の堂様(〇 犬王丸の由来)

 今度は名犬として名高い犬王丸のお墓を訪ねます。道の駅やまくにに駐車したら、駐車場の裏の細道を歩いていきますと右側にあります。説明板がありますのですぐ分かります。

 説明板の内容を転記します(読みやすいように文章を少しだけ改変しました)。

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ペットの神様
犬頭太郎(犬王丸)の墓

 永正年間(1504~1520)、犬の頭太郎はこの中摩地域を猪や鹿の害獣から守り、子供を水難より救い、事故から人を救助し、盗賊から村を守りました。
 またあるとき、小倉で3人もの人を殺し、守実の大歳祖神社に逃げ込んだ凶悪な大男の盗賊を退治し、有名になりました。頭太郎は後に犬王丸と呼ばれるようになりました。そして、豊前一円にその名が知られるようになりました。
 犬頭太郎は5匹兄弟の頭として、中摩地域一円を兄弟犬とともに守りました。この地域は害獣や盗賊のいない住みよい里になり、これも犬の頭太郎のお蔭だと讃え、500年後の今日までこの地域の名前となり、ここを「犬王丸」と呼んでいます。
 犬王丸の墓が、この地にある堂様の横に、犬王丸地域を眺めているように建っています。どうぞこの名犬にお参りして御利益を授かってください。

犬頭太郎(犬王丸)保存会

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 堂様は小高い場所にて、犬王丸部落を見晴らす気持ちのよいところです。花の時季は特によいでしょう。

 墓標は一段高いところに立ち、屋根をかけて鄭重にお祀りされています。犬の像も奉納されています。

 銘はありませんが、動物のお墓としては立派なものです。私は犬王丸部落に縁もゆかりもありませんが、大好きな山国町の安寧を願うて手を合わせました。

 

9 庄屋村の諏訪神社

 道の駅から国道を耶馬渓方面に行き、庄屋村入口バス停を右折して橋を渡ります。対岸が庄屋村部落で、道なりに行った突き当りに諏訪神社の鳥居が立っています。すぐそばに庄屋村公民館がありますので、駐車させていただくとよいでしょう。

 道路端に立派な鳥居が立っています。こちらは信濃のお諏訪様を勧請した神社で、この一帯の鎮守です。こちらは御神木の大杉が有名で、近隣在郷でも指折りの銘木でございます。ここから長い参道が一直線に伸びています。木森の中の、たいへん気持ちのよい道です。季節を選んで、ゆっくり歩くことをお勧めします。

 このように緩やかな石段が上の方まで続いています。ところどころ傾いて、長い歴史を感じます。けれども浮石や緩みはなく、安全に通行できました。木漏れ日の道というものは、ほんに心地よいものです。

 最後の方だけ少し斜度が増します。この部分は創建当初のままではなく、補修の手が加わっているような気がします。お参りをしたら、大杉を見学しましょう。

 説明板の内容を転記します。

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諏訪神社の大杉
県指定特別保護樹木(昭和51年1月7日指定)

 この諏訪神社は、信州の諏訪大社から康暦年間(1379~1380)に勧請されたと伝えられています。
 遠い諏訪の地から勧請されたのは、この地に住み着いた諏訪源氏系の武士の一族がいて、守護神としてここに諏訪の神を祭ったことによるものでしょう。庄屋村(しょうやむら)、神谷(かみや)、両宮(もろみや)の地域を諏訪と呼ぶのは、むろんこの社の社号にちなんだものと思われます。
 この大杉は、推定樹齢500年以上といわれ、根回り10m、樹高約45mにもおよび耶馬渓谷においては、英彦山の鬼杉につぐ名杉であるといわれています。
 しかし、木肌の綺麗さでは九州一ともいわれ、堂々たる美しい姿は人々を魅了してやみません。

※勧請…神仏の分霊を移し祀ること
山国町教育委員会

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 さても見事な大杉に見惚れてしまいました。とても写真には収まりません。ぜひ実物を見ていただきたいと思います。

 

10 庄屋村の庚申塔

 諏訪神社の参道を下る途中で、右方向に脇道を上がったところに庚申塔が立っています。それらしい脇道はほかにないので、すぐ分かると思います。

猿田彦大神

 高いところに立つ庚申様ですが、注連をかけてきちんとお祀りされています。山国町では見かけた庚申塔は、今のところすべて猿田彦の銘です。

 

今回は以上です。山国町には、行ってみたいところがまだまだたくさんあります。もう少し日が長くなったら久しぶりに行こうと考えています。次回は久しぶりに田染のシリーズの続きを書きます。

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