大分県の名所・旧跡・史跡のブログ

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下郷の名所めぐり その1(耶馬溪町)

 ずいぶん前に、2回に分けて「裏耶馬渓めぐり」の記事を書きました。その記事では耶馬溪町下郷地区と玖珠町八幡地区に跨って項目名が連番になっており、下郷・八幡それぞれの続きを書いていくのに障りが生じたので、当該記事の内容を下郷と八幡に分けて再編集することにしました。元の記事が2回分で10項目あったうち、実に9項目は八幡地区の分です。ですから分量的に多くなりますが、八幡地区の分は「八幡の名所めぐり その1」として元の記載内容をそのままに1回分としました。そして下郷地区分の1項目にいくつか項目を追加して1本分としたのが今回の記事で、分量的に少ないのはこのような事情によります。

 さて、下郷地区は大字大島・樋山路(ひやまじ)・宮園・金吉(かなよし)からなります。この地域は耶馬溪町の西端にあたり、山国町玖珠町と接しています。立地的には町中心部から外れていますが、交通の要衝にて旧下郷駅(耶馬渓線)の周辺にはかつて旅館や商店が軒並びで、賑おうていたそうです。名所旧跡を申しますと祇園洞や雲八幡、お伊勢様などのほか、幸田峡、金吉谷(提鶴の景・伊福の景・山田の景など)といった景勝地に事欠きません。特に金吉谷の景勝地は名勝耶馬渓のうち裏耶馬渓の一角をなし、山水の美を極めます。しかしながら遊覧者はそう多くはないので、喧騒とは無縁の、ゆったりとした自然探勝を楽しむことができます。下郷から玖珠町にかけての裏耶馬渓めぐりは、耶馬渓観光の中でもいちおしのコースです。

 

1 祇園洞の景

 最近、城井地区の名所を紹介しましたから、その続きということで下郷地区の中でも柿坂に近い、祇園洞の景から始めます。ここは耶馬十渓の区分で申しますと津民耶馬渓のうちで、景勝と信仰が結びついた名所です。耶馬溪支所から国道212号を日田方面に行きます。耶馬渓中学校を過ぎて、右側に旬菜館という売店があります。地のものを取り扱っているので、ちょっと立ち寄って買い物をしたり軽食をとるのによいお店です。このすぐ近くには三所神社が鎮座しています。旬菜館から僅かに耶馬渓中学校の方に後戻ったところの道路右側です。鳥居も拝殿も道路端にて、すぐ分かります。

 この辺りは大字大島のうち杉畑部落で、三所神社は下郷地区と城井地区の境界にあたります。拝殿裏の崖をへつって細い参道が伸びており、これを登ればほどなく祇園洞に着きます。祇園洞と申しますのは崖の中腹にほげた岩屋で、中に祇園様をお祀りしてあるのでこのように呼んでいます。

 このように岩屋にお社や堂様がおさまった風景は、国東半島で盛んに見かけます。同じように山国川流域でもお馴染みの風景で、中でも最近紹介した岩洞山の景はよう知られています。こちらは、規模はやや小そうございますけれどもその岩壁の険なること甚だしく、そばに寄るさえ胆が冷えるほどです。参道には手すりや鎖等ありませんがなだらかで、1人分の幅はありますから気を付けて通れば問題ないレベルです(落石注意)。

 下に三所神社の屋根瓦が写っています。祇園洞のものすごい立地が、この角度から見ますとよう分かります。この場所は樹木が伸びて、岩山の景観が隠れがちになっています。けれども神社の境内ないしその周辺の木というものは枝を下ろすさえ畏れ多いものですし、よし耶馬六十六景のうちとはいえ、修景の対象になるような岩峰とはまた文脈が異なる気がいたします。祇園洞の景については、お参りをするついでに景勝を楽しむという心持ちで訪れるとよいでしょう。

 

○ 金吉谷の景について

 旬菜館をあとに、国道を日田方面に進みます。下郷入口交叉点(信号機有)を左折して大字金吉に入り、金吉谷を南下します。ここから先は裏耶馬渓のうちです。先ほども申しましたが金吉谷こそは下郷地区きっての景勝地で、歩を進めますとそれはもう次から次に岩峰群が目に入り、しかも美しい渓流には山藤や紅葉など四季折々の風情があります。この谷筋に沿うて小部落が点在し、民家や田畑といった人の暮らしと自然景勝地が同居しているのです。バイパスをくぐってすぐ左に行けば幸田峡の景、直進して金吉川沿いを行けば山浦の景、提鶴(ひさげつる)の景、伊福の景、山田の景と続きます。

 今回は金吉川沿いを行きます。山田の景の手前、飛瀬バス停の対岸に大規模な法面が道路から見えます。ここは、平成30年に山崩れが発生して数軒の民家が被災し、6名の方が亡くなった場所です。亡くなった方のご冥福をお祈りし、地域の安寧を願うばかりです。耶馬渓の急峻な岩峰群や渓流などは観光客の心を惹きつけてやみませんが、お住まいの方々には不安が大きいと思います。私は最近この道を通って手を合わせ、あちこちで見られる落石防止の法面や護岸工事などの重要性を再認識いたしました。景観(自然のままの風景)よりもそこに暮らしている方の安心・安全が最優先されるのは当たり前のことですし、またそうあるべきです。金輪際、あのような災害は起こらないでほしいと思います。

 

2 提鶴の景

 山崩れの跡を過ぎてほどなく、右側の景観を山田の景と申します。樹木で岩峰が隠れがちになっていますが、素晴らしい景観を望むことができます。適当な写真がないので今回は省いて、さらに進みます。一旦人家が途切れ、次の部落が提鶴です。この辺りは峡も狭まりて、谷の両側に山々が連なり、岩峰の迫力もいや増してまいります。

 駐車場はありませんが、車内からでも景観を十分に楽しむことができます。この先の道路右側に、提鶴の公民館と八坂神社が並んでいます。写真がないので省きますが、神社の境内には猿田彦庚申塔が立っています。

 提鶴部落を過ぎるとまた人家が途切れます。この辺りに来ますと金吉川はいよいよ渓流の様相を呈して、岩と清流の見事な景観を道路から眺めることができます。秋の紅葉は言うに及ばず、山藤の時季もお勧めいたします。金吉谷に沿うて、たくさんの山藤が見られます。棚をこしらえた藤もようございますが、山藤もまた風情があります。

 

○ 下郷の盆踊りについて

 城井地区の記事で、耶馬溪町は盆踊りの盛んな土地であると書きました。下郷地区は城井地区に比肩する「踊りどころ」です。演目の数は山国川流域では最も豊富で、実に13種類と数えます。その内容を申しますと「千本搗き」「祭文」「小倉」「三つ拍子」「寿司押し(トコヤン)」「三勝」「書生さん」「米搗き」「博多」「佐伯」「キョクデンマル」「ネットサ」「六調子」で、近隣の流行踊りの吹き溜まりの感があります。(昔は「思案橋」などもあったそうです)。今では13種類全部を踊る部落は稀になりました。いずれも太鼓を使わずに、傘をさして床縁に立つ音頭さんの口説に合わせて踊りながら囃子をつけていくという大変素朴なものです。

 地区内では、初盆の供養踊り(8月13日)がほぼ全域で行われているほか、お観音様の踊り(14日)、十夜様(10日)などを踊るところもありますし、地区全体の盆踊り大会もあります。供養踊りは寄せ踊りになったところも多い中で、数か所では今なお、昔のとおりに初盆の家を門廻りで踊っています。昔は、初盆が多い年は最後の家になると夜が白み、うちわは破れて下駄もすり減っていたそうです。また、次に紹介します「伊福の景」の伊福部落では、昔から地蔵踊りが賑やかで近隣在郷によく知られており、踊りがはねたら「鷽替え」もあります。かつては玖珠町側からも提灯を持って歩いてくる人が何人もいて、四重五重の輪が立つほどの賑わいであったそうです。さしもの伊福の地蔵踊りも昨今の過疎化により往年の賑わいはないようですが、もとは地蔵盆に踊っていたものをみんなが参加し易いように地蔵盆に近い週末に行うように改めて、継承されています。

 下郷の盆踊り唄を記しておきます。

「千本搗き」
〽東西南北おごめんなされ(ヤーアレワイサッサーコレワイサ)
 聞けばこの家は初盆そうなヨ(ヨーイトーセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサッサーコレワイサ)
 ホイ(ヨーイトナ)
〽しばし間は坪貸しなされ(ヤーアレワイサッサーコレワイサ)
 坪は借りても持ちてはいかぬヨ(ヨーイトーセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサーコレワイサ)
 ホイ(ヨーイトナ)

「祭文」
〽やろなナッサー やりましょな祭文でやろなホホンホ(ヨイショヨイショ)
 どうでナッサー 踊りは祭文でなけりゃ(ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソラエ)

「三つ拍子」
〽裏の窓からカニの足投げたコラサーンア
 今宵這おとのナント知らせかな(アーヤンソレナ コラヨーイヨイ)

「六調子」
〽国は筑前田川の郡(ヨーヤーセ ヨヤーセ)
 田川郡は添田の町よ(ヨーヤーセ ヨヤーセ)

「小倉」
〽小倉言葉でお寄りなれ来なれ(ソラヨイヨーイ ヨヤサノサ)

「佐伯」
〽佐伯なば山 鶴崎ゃ木挽き(ドッコイサッサー)
 日田のコリャ 下駄ひきナント軒の下(ソリャヤットセーノ おかげでネ)

「寿司押し」
〽押そな押しましょな鯛の寿司押そなヨ(トコヤンソラヨイヨイ ヤンソラヨイヨイ)
 鯛は高うつく鯖の寿司押そなヨ(トコヤンソラヨイヨイ ヤンソラヨイヨイ)

「ネットサ」
〽ねっとさ踊りが習いたきゃござれヨネット(ネッチョケネチョケ)
 わしが手を取りヤーハレサー教えましょ(ネッチョケネチョケ)

「米搗き」
〽搗けど小突けンエーど この米ゃヨ(ショイショイ)
 アーリャはげぬノンホードッコイショ (どこのお蔵ンアーの底米か)
 オイサよう出ンエーた よう言うたヨー(ショイショイ)
 アーリャどこのノンホードッコイショ (どこのお蔵ンアーの底米か)

「キョクデンマル」
〽待つがよいかよ別れがよいか(嫌な別れよ待つがよい)
 別れよ別れよ別れよ嫌な(嫌な別れよ待つがよい)

「三勝」
〽ヤンソレ音頭さんわしが貰うた ここらで貰うは無理なれど
 無理なるところはわしが好き 三勝坊主というやつは
 いったいぜんたいイレコ好き わしが一丁どま入れやんしょ
 あんまり寒さに長火鉢 武部源蔵を差しくべて
 ちょいと一杯管丞相 燗が熱くば梅王丸
 呑んだるお顔が桜丸 八重に咲かして花と見る
 今宵の座敷が苅屋姫 最早東が白太夫
〽これも三勝 ご立派なイレコ(ヤーンソーレ ヤンソレサ)

「書生さん」
〽書生さん 好きで虚無僧するのじゃないが(コリャコリャ)
 親に勘当され試験にゃ落第し(ヨイショコリャ) 仕方ないからネー尺八を
 くわえて
吹き吹き門に立つ(ジッサイジッサイ)

「博多」
〽博多騒動米市丸は (ヨイトサッサ) 刀詮議に身をはめた 刀
 詮議にサッコラサデ身をはめた
(ヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
〽賽の河原の地蔵さんでさえも(ヨイトサッサ) 小石々々で苦労する 恋し
 恋しでサッコラサデ苦労する(ヨイトサッサノ ヨイトサノサ)

〽黒うする墨すらるる硯(ヨイトサッサ) 濃いも薄いも主次第 濃いも
 薄いもサッコラサデ主次第(ヨイトサッサノ ヨイトサノサ)

 

3 伊福の景

 提鶴をあとに、次の部落が伊福です。伊福では谷筋が少し広がり、昔話の世界のような長閑な山里の風景が見られます。谷を取り巻く岩峰群の規模・迫力たるやものすごく、金吉谷の景の中では白眉といえましょう。県道から脇道に入り、展望広場に車を停めますとその雄大な風景が一目です。

 一枚の写真に収まりませんでした。展望広場から県道方面を見ますと、左の方では杉林の後方に岩峰が山塊をなします。

 そのまま右に目をやれば、岩峰群のすさまじさがよう分かります。樹木が茂って景観を損ねていたので伐採等の修景が行われましたが、最近はまた樹木が伸びてきているようです。でも、岩峰の様子はよう分かりますし、青葉若葉の風景もまたよいではありませんか。右の方の特徴的な岩を猿の飛岩と申します。別の写真で詳しく紹介します。

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 これは、修景直後の様子です。伐採したばかりなので、岩壁の凄まじい光景がよう分かります。この右端の岩が猿の飛岩です。あんな恐ろしいところを、猿が飛び移っていたのでしょうか?よう分かりませんけれども、ほんに珍しい形状の岩ですから、個別の名前をつけたくなるのも分かる気がいたします。

 景観を楽しんだら県道に返ります。道なりに行けば下河内部落(玖珠町)経由で、竃ヶ窟の景、立羽田の景へ。左折して広域農道を上れば山田の景を経由して深耶馬渓に至ります。今回は左折しました。

 広域農道を上っていき、洞門をくぐったところから猿の飛岩を別の角度で見ることができます。おしむらくは駐車場所がやや遠いことで、歩道のない急坂を歩いて来ませんとゆっくり眺めることができません。説明書の内容を転記します。

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猿の飛岩

目を閉じると猿の群の音(鳴声も…)が聞こえるようであり、目を開けると「あっ猿が!」と思わせる奇石が見え隠れ…昔は猿が群れて飛び遊んでいたのでは?そのような想いから「猿の飛岩」と名づけられました。

耶馬溪町商工会

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4 山田の景

 広域農道沿いを上っていき、右側に広がる岩峰群が山田の景です。ちょうど伊福の景と隣り合わせにて、実際にはどちらが伊福で山田で…と気にするほどの違いはありません。一帯の自然景勝地として雄大な風景を楽しみながら、ドライブすることができます。

 山田の景は、特に新緑の時季をお勧めします。もちろん紅葉の時季もよくて、この先の方では庇紅葉の様相を呈した箇所もございます。春夏秋冬と、何度でも訪れてみたくなる景勝地です。

 

今回は以上です。次回は田染のシリーズの続きを書きます。

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