今回は南緒方地区のうち、原尻の滝周辺の名所旧跡を紹介します。このあたりの名所は、このシリーズのその1で紹介しました。その補遺のような内容にて、短い記事になります。リンク先の記事とあわせてご覧いただくとより分かりやすいと思います。
10 原尻の滝(その2)
原尻の滝は以前も紹介しましたが、この滝の鑑賞のポイントをちょっと書いてみようと思います。こちらはチューリップの鑑賞に合わせて春に訪れる方が多いでしょう。しかし私が思いますに、最もよい時季は夏です。日差しを遮るものがないので暑さには辟易しますけれども、草木の緑と向こうの山から湧き出づる入道雲の様子が、滝の景観とよう馴染みます。
この滝は、「東洋のナイアガラ」という宣伝文句のわりに平素の水量が少なめで、それを残念がる声も聞かれます。しかしこの滝のよさの本質は、むしろこの水量で岩肌がよう見えるところにあるような気がします。冒頭に掲載した写真のようにさらさらとした落て水は、なんとなく涼やかな感じがしませんか。滝単体で見たときの迫力というよりは、周囲の田園風景にほどよう馴染んでいるところに妙味があるといえましょう。
11 二宮八幡社
原尻の滝の上、川の中に立っている二宮八幡社の一の鳥居を紹介した際、緒方三社について少しふれました。今回は緒方三社のうち、二宮八幡社と一宮八幡社と掲載します。
今回は原尻の滝駐車場(道の駅)に車をおいたまま、歩いて行きます。吊橋でも、滝の上の沈み橋でも、どちらでも構いませんので対岸に渡りますと、田んぼの中を突っ切る道に二の鳥居が立っています。
二ノ宮八幡宮
たいへん大きな鳥居で、よう目立ちます。立派な造りの鳥居に目を奪われますが、石燈籠にも注目してください。こちらも基壇を高くとった比較的大きなものであり、形がよう整うています。しかも火袋や中台には細やかな彫刻が施され、優美な雰囲気を醸し出しています。
二の鳥居のところから一直線に境内へとつながっています。この周辺が原尻部落の中心部で、すぐ近くの公民館では盆明けに盆踊りがあります。以前も申しましたが、原尻の盆踊りは演目の種類が多いことで有名です。神社の入口左側には立派なお地蔵様が立っています。それは説明の都合上、後回しにします。
神社の入口で道路沿いの水路を跨ぎます。緒方町のうち原尻から自在方面にかけては水路が非常に発達しており、かつてはたくさんの水車が回っていました。今は水車の数が激減してしまいましたが、道路沿いの水路は緒方町特有の景観を作り出しています。こちらは水路を跨ぐところが小さな太鼓橋になっています。緒方町は石橋の町でもあります。これまでにも、町内に残る立派な多連アーチの石橋を数基紹介してきました。それらにくらべるとごく小規模ですけれども、この太鼓橋もまた、緒方町の石橋群の一端であります。
手前の鳥居には「二宮社」、奥は「八幡宮」とあります。右奥に立っている碑銘は「日露戦役記念碑」です。
説明板の内容を転記します。
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二宮八幡社
緒方三郎惟栄は緒方郷を治めていた宇佐神宮の政策に不満を持ったのか、大胆にも八幡宮総本山である宇佐神宮の焼き討ちを行いました。しかし、そのとき怪我を患ったのをきっかけに祭祀に目覚め、三つの神社を建造したと言われています。そのひとつが惟栄自身も祀られている二宮八幡社です。この三社の祭神は親子同士で、年に一度だけ再会し楽しい一日を過ごします。これが旧暦の十月中旬に行われる勇壮な川越し祭です。
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幅広の石段の両脇には門に見代えの大杉が聳え、その上には立派な神門が建っています。
神門をくぐった先もさらに幅広の石段で、石垣も非常に立派な造りです。近隣でも稀に見る規模といえましょう。原尻の滝には毎週末、大勢の人が訪れますが、二宮八幡社に足を伸ばす方は多くはないようです。こんなによいところなので、せっかく近くまで来ていて立ち寄らないのは勿体ないと思います。距離は知れたものですから、ぜひ参拝をお勧めします。
独特な風貌の狛犬も一見の価値があります。鼻の孔を吹き広げた顔立ちは、何となく自信満々な感じがしませんか。唐獅子と申しますと、もう少し肥ってずんぐりしたものをよう見かけます。ところがこちらは、すらりとしてすばしっこそうな雰囲気が感じられました。足の爪など細かいところまで丁寧に表現されています。
本殿の建築は壮麗を極めます。脇障子や欄間、妻の細やかな彫刻の素晴らしさは言うに及ばず、格子や垂木、おばしまの整然とした美しさはどうでしょう。まして肘木の組物の豪勢なことと申しましたら、匠の粋の結晶と言うよりほかありません。もはや芸術の域に達しています。花ブロックを利用したモダンな塀もまた、この建築によう合うているではありませんか。
12 一宮八幡社
二宮八幡社のすぐ裏手の山の上に一宮八幡社が鎮座しています。簡単に訪れることができますので、ぜひ足を伸ばしてみてください。
二宮八幡社の境内奥から、このような参道が伸びています。途中で道幅が狭まりますし少し急坂ですが、簡易舗装がなされておりますので安全に通行できます。5分やそこらで着きます。
鳥居の神額には「八幡宮」とあります。この字体がとても風流なので、参拝時に確認してみてください。境内は広いものの平坦なので、二宮八万社のような大規模な石垣や石段は見当たりません。周囲を樹木に囲まれた静かな空間です。
もし車で来たい場合は、原尻簡易郵便局のところから久土知に抜けるトンネルのところから左に上ります。ただ、上り口が狭いので軽自動車の方がよいでしょう。
神門をくぐった先が3段の石段になっていて、その両脇に狛犬と石灯籠が立っています。こちらの狛犬は、二宮八幡社のそれとは全く異なります。プンとそっぽを向いた阿形はなんとなく愛らしくて、私の好きな狛犬のひとつです。
立派な眉毛と鼻、出っ歯がものすごいインパクトで、一度見たら忘れられない顔立ちです。石工さんの独創的なアイデア、ひらめきが感じられました。二宮八幡社の狛犬と見比べてみてください。
大きな建物ではありませんけれども、拝殿の造りがたいへん立派です。しかも、この立地にあっては境内の草刈りや枯れ枝の除去なども大変そうな気がしますが、環境整備が行き届いており、近隣の方々の信仰の篤さを物語っています。
ところで、一宮八幡社から南東の方角、大字大化は宮尾部落には三社の元宮が鎮座しています(またの機会に紹介します)。この元宮から惟栄が3本の矢を射て、夫々落ちたところに、順に一宮、二宮、三宮を造営したという伝承があります。
13 二宮八幡社周辺の石造物
今度は、二宮八幡社そばのお地蔵様や庚申塔などを紹介します。一宮八幡社から、二宮八幡社入口まで元来た道を後戻ります。すぐ脇には、お地蔵様など石仏がお祀りされています。
立像、坐像、夫々おちょうちょがかかって、お花があがっています。昔は通る人ごてお参りをしたことでしょう。今も地域の信仰を集めている仏様です。お地蔵様の立像に簡易的な屋根をかけています。こんなに鄭重にお祀りしてある例は稀でしょう。
お参りしたら、今度は二宮八幡社の右側から入って、敷地に沿うた小道をゆるゆると上っていきます。
ほどなく、平場の奥詰めに庚申塔などが立っている一角に出ます。神社からすぐの場所です。
風化摩滅により像様が不鮮明になりつつありますけれども、蓋しお不動さんでありましょう。大野地方は元来、不動明王の信仰が盛んな土地柄です。磨崖仏のほか、このように半肉彫りにした小型の像も方々に残っています。お不動様めぐりをしてみるのもよいでしょう。きっとお蔭がありましょうし、個性的な像様の作例が目立ちますからいろいろ見比べてみると面白いと思います。
庚申拝石
中井田地区(大野町)のシリーズで、代三五の公民館に寄せられた庚申塔を紹介しました。その中に「庚申拝石」の銘のあるものがありました。そのとき、さても珍しいものぞと思うたものの、原尻でも見かけたということは、この種の銘はある程度の広がりをもって分布している可能性があります。
こちらも庚申塔と思われますが、銘はさっぱり分かりませんでした。
三界萬霊等 ※等は略字
「秦氏先祖」云々の文言が見えます。この種の言い回しは、一統の供養塔であれば分かるのですが、三界万霊塔にはそぐわないような気もいたします。背景を考えてみたのですが、確からしい答えに行き当たりませんでした。
今回は以上です。大野地方の記事は一旦お休みにして、次回は大分地区のシリーズの続きを書きます。